BANK of TORA
寅の知
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祖父が生まれて100年くらいが経ちます。今から100年前といえば1913年の事。まだ、第二次世界大戦も起こってもいない、明治から大正に移り、文化の現代化が進みかけた頃。仏教の言葉に「無常」という言葉があります。100年という時間の中で、たくさんの生死が行き交い、誰も生きては居ないであろうと、その無慈悲に対して言うのだそうです。祖父は100年という時間を生きました。その間、何を記憶に留め、その目で、耳で、何を刻んできたのでしょうか。祖父との会話で、10代〜30歳の頃の話しがよく出てくるのですが、余程に心に残る出来事が多かったのでしょう。そして、今となっては誰も知らない世界。100年前の100年間の昔話。
寅の視点
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祖父は戦前から戦後の満州国や中国に機械工場の技術者として渡り、様々な風景を写真に収めました。今回、公開している写真は、上海からの引き揚げ時に没収されるはずだったフィルムを腹巻きに隠し、なんとか日本に持ち帰った一部なのですが、それでも充分に現地の人々との暮らしや建物など、当時の様子が切り取られており、大変興味深い内容となっています。決して国家間に関して意見を述べるものでも、何かのメッセージを訴えかけるものでもありません。あくまで『写真として撮られたもの』を展示するといったものです。資料的価値についても存在しないものとします。
寅の資料
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祖父の家を整理していた時に見つかった、1つの空き缶の中には生涯の様々な記念が入っていました。それは単なる骨董としての珍しさや価値ではなく、祖父がそれを手にした当時をそのまま現実に引き起こしてくれるには充分であったような気がします。何かの記念に。そう思って何気なく集まった、どうしても捨てられないまま、空き缶の中に片付けていたもの。それはまるで生きて来た資料のようにも感じました。元々祖父は、整理をするのが好きなので、たまたま、その一環で1つの場所にかためられていたのだと思います。ですが、それは、その空き缶は宝箱でした。