グラフィックの最強の使い方、もしくは、やっぱりグラフィックは凄い的なあれ

そう、あの印刷の通販で有名なグラフィックさん(http://www.graphic.jp)である。短期納期安価で信頼出来る安定品質。それだけでも十分なのに、それに加えて豊富なオブションも魅力的だ。中には印刷を依頼せず抜き加工のみを依頼するツワモノも現れるほど、その多様性の跳び方は他に類を見ない印刷の仕組みを作り出している。fengfeeldesignも使う事がとても多い。なにせ、ここで基本的に必要な想像しうる全てが出来るものだから、「使い方」の工夫次第では無限の可能性を秘めている。印刷品質も最新の機材の導入など、その安定性に加えて、他の安価な通販システムによるオフセット印刷の追随を許さない出来栄えなのは他には無い特徴だと言える。納期を例え7日に設定していても5日で仕上げて発送してくれるなど、生産面においても無駄を作らない社内での仕組み作りは、もはや極みの域に達していると思われる。もちろん、仕上がりの際の色などを追及したり、本来の意味での印刷物を制作すると言った技術レベルの話をしてしまうと、金額の通り、納期の通り、まあ、こんな感じ。と言った具合に、まあまあな仕上がりに他ならないのだが、それらを差し引いたとしても、このグラフィックを使用するメリットの方が大きく感じるのは、使いやすさ頼みやすさホスピタリティの点において、圧倒的な利点があるからに他ならない。ただ、もちろんデメリットもある。前述したように、高品質な印刷加工を実現出来ない事もそうなのだが、印刷加工がディスカウントショップ化するというイメージの定着に一役買ってしまっている節がある。これは、もともと金額を明かさない製造業のタブーを破った形になるのだが、金額の提示自体が発注者ではなく消費者という、なんとも気まぐれな対象を生んでしまったのだ。グラフィックは、本来提示していい金額ラインを未余ってるいるようにも感じる。値段の提示は印刷加工そのものを「商品化」する動きの1つであると言えるが、この動き自体は、これから主流になりうる可能性がある観点ではある。ただし、それは根本的な発注そのものを起因するべき対象があってこそのものであり、印刷の加工の品目そのものを商品化する事であってはいけないのだ。加工そのものに一旦価値が付いてしまい、その範囲で市場が出来上がってしまうと、発注のしやすさや市場での勝利を得たとしても、印刷加工の業界そのものの発展に寄与する事は、到底適えられない難しいものへと変貌を遂げる。製造と商品は違うのだ。今や一般的になってしまったグラフィック的な方式というものは、一目で見ると一時の便利を得る事になる。しかし、そのイメージは、いざ、高品質な加工を行う場合や、グラフィックでは出来ない加工を発注したい場合に、とても大きな壁として立ちはだかる事になる。その事を、このグラフィックを使いこなすヘビーユーザー達は知っておかなくてはならないのだ。もしかしたら、グラフィックだから出来るのであって、他の印刷加工とは別の物、というイメージを持った方がいい。グラフィックは凄い的なあれは、グラフィックが独自に齎した「印刷」という名の「策定」であり、それが印刷というイメージの全てにするべきではないと思う。そうすれば、グラフィックを最強に使いこなす事自体はとてもイージーだし、その範囲で、とても便利な印刷を実現出来るとも思う。ただ、それを広義な意味での「印刷」として捉えるのは間違いである事を、脳裏の片隅に置くべきだ。まあ、それでもやっぱ、安くたくさんの印刷物を手にさせてくれているグラフィックさんは凄いと思うし、これからも多分、そういう意味での印刷を引率していってくれるんだろうなと予感しています。そして、fengfeeldesignも使っていく事になる。グラフィックはスタンダードになってしまったけれど、短期納期安価で信頼出来る安定品質というのが、既に印刷にとって特別だし、そういった意味で希少価値の高い状況を作っている。こんなに最新の技術を容易に使えるとか、ガンガンと印刷と戯れていいと思うし、グラフィックじゃない所に頼むという事は、短期納期安価で信頼出来る安定品質が達成された策定ではない所に頼むという事でもある。その違いを知っておくのも、このグラフィックという場所を価値に感じる1つの指針になる。

今までグラフィックデザイナーが印刷について行ってきたこと、そして、これからについて

印刷が始まってから、まあまあの時を経てグラフィックデザインが発生し、よくよく考えてみればグラフィックデザイナーが、印刷というものに接してきた時間というのは、印刷技術が登場してから、実はかなりの時間が経ってからで、全体を見渡すと極々最近の話という事が簡単に分かります。現在においては、ここまで、1人のグラフィックデザイナーが刷る、紙に加工するというものに関わるというのは、とても不可解な事であり、ある一部の印刷発注者に過ぎない事実も一緒に付きまとってくるのは異常な自体であると、最近ではとくに、そのように感じます。fengfeeldesignはこれまで、グラフィックデザインというものの視点から印刷を見つめ続けてきました。もちろん、これからも、その視点で見つめ続ける事になると思うのですが、それまでに接してきた、見てきた状況というのものが、あまりにもグラフィックデザインが不在な状態で印刷工程が在るというものが多く、本当にグラフィックデザイナーって存在しているの?というぐらい、存在の怪しいものとして、認識されてきた経緯というものがあります。結論としては東京にこそデザインがあって、デザイナーが居たって感じですかね。むしろ、そういった経済と人とが集合しているところにデザインの必要性が内在していて、このような大阪という名の嘘大都会では、DTPオペレーター的な東京資本から流れてきたクソツマラナイ事案をグラフィックデザイナーという肩書きが、こなすものだから、そりゃもう不信になるわ、と、ひとまず大阪の残酷な状況を報告しつつ、これは本当にホントで、なんというか、東京って、なんだかんだいって、たくさんグラフィックデザイナーって存在していると思うんですが、それをデザイナーとした場合に、大阪、もしくは関西では、リアルに成立してるのが20人くらいだと思います。いや、ホントにこれはマジな話です。この事実から目をそらしたい状態というのが正直あったし、実際、それを認めるまで相当に時間がかかったのは、ある意味、過酷な変態プレイだったなー、というのも同時に認めざるえず…云々云々ありますが、それはいいとして、でもまあ、こんな感じの大阪にもデザインを必要とする話や要望はあるのだが、頼む側になんとも金が無い場合が本当に多いんですね。東京はどうなんすか!いったい全体どうなんすか!というぐらい、なんかお金発生してるし成立しちゃってるじゃないすか。なんかそういうのを見ていたり、目の当たりにしているので、こちとら大阪に居ると、もはやグラフィックデザインは幻想なんじゃないかってのは感じていたりします。まあ、そういう意味で、少し離れた所から、グラフィックデザインというものを見てきたfengfeeldesignが観察し勉強し見てきたものとして、グラフィックデザイナーは印刷に何をしてきたのだろうという疑念と、その判明があるのですが、その一環としての前のPRINT PUB 01がありました。メンバーとしては大阪と東京で半分ずつが参戦し、それぞれが制作を行ったのですが、特徴として、東京はグラフィックデザイナーが多かったにも関わらず、大阪ではそうでない作家やアーティストの人たちがとても多かったのが違いとして表れました。プリパブ自体がネットで平均的にメンバーを集めましたので、情報の拡散の偏りというのは無かったと思いますし、なんせ拠点が大阪というのもあって、個人的には大阪の人たちが多いのかなあと予想していた部分があるのですが、想像以上に、大阪のグラフィックデザイナー、という人達には興味を持たれ無かったなという印象がありました。そもそも、大阪のグラフィックデザイン、とくに紙媒体を中心にしたグラフィックデザインで成立した人達というのは前述の通りなのですが、その状況というのは、成立している人の希少価値の高さとも言えていて、成立した時点で既に偉い、みたいな、そういう空気があります。一方、東京では、成立はしているが、それより一歩先の評価のようなものを得て初めて偉い、となるようで、その上での、欲、というか、挑戦心、業の深さ、みたいなものの大きさの違いをまざまざと感じることが出来ました。あと地方は、印刷オペレーターが多い傾向にあったのも特徴として挙げられます。このような結果の中で、2014年の時点の結果とも言えますが、東京が、私たちの想像するグラフィックデザイナー像を描ける経済や人の質を含めての環境があるとして、それよりも離れたり、経済や人の質のようなものの変化で、グラフィックデザイナーという位置付けや、意味づけみたいなものが変わってくるのが分かったのが、このPRINT PUB 01で得る事のできた最高の成果であり結果でした。その上で、1つ共通点として挙げられるものが、どの種のグラフィックデザイナーであっても、ある一定値、印刷に関わる事が前提として動いている、というものです。その一定値の中身というのが重要で、PRINT PUB 01自体が、その中での印刷技術の育みや観点の発表会みたいなものでしたが、グラフィックデザイナーが印刷について行ってきたものというのは、「作るものを指示」したり「そのフォーマット」を作成したり、というよりも、その欲求の部分として、それらがどう見られるか、という事に全ての印刷物が成立していました。また、その際に、印刷技術に求められていたのが、その技術力の高さよりも、そうした、何かに表現をするものを満たす欲求の部分に合わせてくれる技術を、グラフィックデザイナーが印刷に影響する、求める一定値として表れていたようです。もしくは、それらに関連した技術の高まりを良質なものとして捉えている印象でした。ただ、意地悪なように、テーマを印刷技術の発表という縛りを設けて、雁字搦めにしていたのですが、それでも彼らの出した答えは、その表現に偏ったものであると印象付けられる制作物の発表でした。恐らく、グラフィックデザイナーは前よりかは、印刷技術の解放により勉強が捗っているものと思われます。そうした中で、これから行われる事というのは、実際に自分達が遭遇する状況に対して、最高に利用出来る技術選別なのではないのかなと、想像しています。もちろん、その流れというのは、今までは緩やかに行われてきましたが、ここまで技術の発信や解放が行われてしまうと、そのスピードというのは、ますます加速するものと思われますが、その中で印刷サイドはどのようにあればいいのか、どの技術を残すべきなのか、など、技術側もその選別を行う時がかならず来るような気がします。この新しく再開したプリパブは、そういう事になるであろう状況の中での、無理が起こらない潤滑油としても機能出来ればと考えているのと、そういったものをよりウマク策定する事で、様々なグラフィックデザインと印刷の未来を描ける事が出来ればと願っております。また、その事態というのは本当に近い将来のこれからとして予感しています。

グラフィックデザインと印刷技術

それ、いいデザインだね!カッコイイデザインだね!などなど、今も言うのかな…、そういう言い回しがあるじゃないっすか。ただまあ、今はもう、あんまり聞かなくなりましたけどね…。正直なところ、それくらいデザインというものが日本人に飽きられたというか、デザインというもののカッコよさが潤沢して新鮮味のあるものでは無くなったという事でもあるんだろうなあというのはあります。もっと言うとちゃんと受け入れられなかったっていう意味も含まれてそうな気もします。しかも、これって実は言葉の意味としては間違っていないというのがどうにも悲しみでありつつも、なんとも方向としても間違ってないし、よくよく考えてみると、とても素晴らしい認識なのです。今はどっちかというと、コミックの装丁や同人の世界で言われているのを見るのが多くなったように思います。ただ、他の分野の傾向を観察する限りでは、謎に「意識」だけが高くなってしまい、どうにも立ちいかなくなっている状況というのを見る事が多々あって、「デザイン」を意識する時に、あまり慣れていないのか、よく、表現的にデザイナーって襟が立ってるじゃないすか、ああいう感じで、ああいう感じだけを掬いとった状態というのが自ずと仕上がっていくのですね。意識そのものが高まる事は、それそのもののリテラシーみたいのが向上し、その結果、経済的に大きな作用をする事は間違いないのですが、決して「いいデザインだね!」とは、その意味は大凡違ってくるのかなあというのが、fengfeeldesignが持っている認識の1つです。個人的に「いいデザインだね!」は結構好きなんですよね。そういったコミックとか同人とかの世界って、とても趣があって、個人的な世界じゃないすか。そういうのって西洋の美術ととても似ていると思ってもいて、もし日本でデザインが育まれるなら、そういう場所でこそなんじゃないかってのはとても感じています。ついついデザインそのものが趣になっていた時代ってあったと思うんですよ。もちろんそういうのは個人的に好きだし、そういう人達と喋るのってめちゃ好きなんですけど、そういうのって、本来のデザインの意味とは少し離れてしまうんじゃないのかなってのも同時に感じていたりします。こんな感じで大勢が集まっていて、趣があって、楽しい所でこそ、デザインは機能して「いいデザインだね!」が言えると思っているんですが、そういう目線というのは、グラフィックデザインも同じだとも言えます。そのグラフィックデザインに長く関わり続けているのが印刷技術であり、それがこれからも続くのをとても期待しています。コミックとか同人も、こういったグラフィックデザインの枠内に入る部分がたくさんありますが、この場合、その人と人との結び付きを作っているのは印刷技術、ではなく、グラフィックデザインによるもの、であるという、そういう認識ですかね、そういった視点で見た場合に、デザインはデザイン、技術は技術、策定は策定、なので、「いいデザインだね!」が決して「いい印刷だね!」とは同義ではないし、はたまた「いい策定だね!」でも無いのも当然の話として、しかし、互いにそれぞれ絡み合ったり、重なったりして影響しあっていて、ここではそういう概念としてこれらを取り扱う事になると思います。または、そういうのも含めて「グラフィックデザイン」なのだ!みたいな、「いい印刷だね!」と言わせたのもデザインの力だし、「いい策定だね!」言わせたのもデザインの力みたいな認識も生まれがちかと思いますが、あくまで、そういうものを意図した場合であって、それそのものに影響する訳ではなく、むしろそれは「別のデザイン」に成る事であり、本来の「グラフィックデザイン」の目的や文脈を無視しているような気がします。なんかそれって「グラフィックデザイン」を誤読しているというか、成立した上で、ある程度に成功した「グラフィックデザイン」の事例を行う事を「グラフィックデザイン」としちゃう、fengfeeldesignとしては凄い悪寒が走って大っ嫌いな、まったく別の物ですので、そういうのとは一線を置き、接したいと考えています。まだ言葉としては存在しておりませんが、印刷加工連あたりの、オールライトさんがやっておられるのは、グラフィックデザインというよりも、「印刷を事を考えるデザイン」みたいな、印刷技術に関わるデザインとして新たに登場しているような気がします。それはそれだなという感じです。あれはそういうデザインなのだと思います。印刷技術という側面で、デザインを語る時に、「グラフィックデザイン」となるのは、印刷が何かを刷る像が「グラフィック」だからだと思います。もちろんデザインというものを考える事は無くても「印刷」は可能です。実際にそのような現場はたくさんありますし、むしろその方が多いかもしれませんし、その方が善い場合もいっぱいあります。それでも残るのが「策定」であり、唯一、印刷技術というのものに直接的に作用する視点でもあります。「グラフィックデザインと印刷技術」を考える時、成立させる時、それは今、これからどのような関係であればいいのか、たくさん考えたい部分でもあり、fengfeeldesign自身が、デザインとしているからには「グラフィックデザイン」は現時点で考えられる、「印刷技術」の最高のパートーナーの1つでありたいと願っています。その上で、または、その場合に「印刷技術」に、どうあって欲しいのか、という事にも言及をする場としてここを使いたいとも考えていて、つまり「策定」という事になります。それが、グラフィックデザインというものに対してなのか、そうではない何かなのか、技術自身の捉え方や仕組み方のようなものを1つ1つ定義し、今一度、印刷というものを「グラフィックデザイン」というもの、また、そうではない何かに昇華する為のチャンスをたくさん作りたいなと思っています。

どこからを加工所に頼むべきか、または、その姿勢について

一言で規模、というものがあるし、その加工所が得意としている分野を把握しているか、というものがあるし、一概にこの線引きをすれば善い、という明確な回答を出す事はとても難しいように思います。fengfeeldesignのような規模の場合は、とても個人的な仕事が多いので、部数が少なく、リクエストが細やかなので、最初から加工所に声掛けする事を選択肢から排除し、fengfeeldesign自身が紙を購入して、知人のところのオンデマンドをぶん回して、切ったり折ったりなどをする場合があったりします。DIYといっても、手順や方法が合っていて道具をキチンと選んでいれば、あとは練度ですね、それさえ備わっていれば加工所と変わらないクオリティが出せます。ただ、数が少なく質がいいものが出来るという事でその評判が立ってしまい、これじゃあデザイナーというよりも、もはや加工所じゃねえか!という日々を過ごした後日譚がありますが、今はオマケ的な扱いで限定的に行っている、というのが現状でしょうか。それくらい、加工所に声を掛けるのに気を使うのですが、それには幾つかの理由があります。まずは、実は加工所は個人ユースではありません。個人のお客様で、あーだこーだと、何処かで知り得てしまった加工技術の知識の夢をリクエストしてくださる事が多々あるのですが、その8割の方が条件となる部数と金額で断念する事がほとんどなくらい、個人には優しくないのです。fengfeeldesignがお世話になっている、比較的小さな町のオフセット印刷所でも、初期は1万部、がベターな数値でした。それが5000になり、3000になり、1000になり、今では100部の印刷が可能になっています。ただし、その100部でも本当は1000部の金額と同じというのが条件、もしくは譲歩してくださっています。本当は1万部作りたい機械で100部というのは、なかなかにリスキーだし、同じ機械を動かすコストで考えると、声掛けする事をなかなかに躊躇をしてしまうのです。それでも、個人を相手にしてくださるパターンというのが幾つか存在しています。1つは、職人の価値を上げて、数を作っていた時代よりも単価を上げるパターンです。このパターンは、特殊加工や、活版印刷のように、加工所としても希少価値が高い場合に見受けられます。次に挙げられるのが最近の最新のパターンでしょうか。グラフィックやみかんの樹に代表されるような最新の機材を利用しパッケージ化しているパターンです。この前述と後述の2つのパターンというのは、両極のものと言えると思います。前述は、ワガママを際限なく聞いてくださる代わりに、その金額はとても大きなものになります。後述は、ワガママは限定的にしか聞いてくれないけれど、目的にハマると金額的にとても有利になります。あとは、海外に発注かけるパターンかな。最近はアナログゲーム製作では個人ユースでも利用する事があるみたいです。外国人労働者を雇ってるパターンとかはグレーなのでスルーしときます。現状として言えるのは、元々は1万部が理想だったものが、段々と数が少なくても出来るようになった。という感じでしょうかね。ただし、それは加工所にとっての利益減なので、結局は1万部の時の額面が欲しいのと同時に、だからこそ保ってきたクオリティと、今、私たちが「デザインのひきだし」などで目にしているものは、その背景があるという事を忘れないで欲しいなと思います。つまり、印刷が美しいのは過去に大量に作ってきた経緯があって、其処に裏付けられた技術があるからこそで、それを今は個人ユースとして使える、なんとも贅沢な事になっているという感覚を持っていただく事で、なぜ、そんなに金額が高いんだ!という疑問が晴れるのではないかと思います。また、これを現場目線に変換すると少し違ったものが見えるかもしれません。現場の職人さんや営業さんは、ワガママを叶えたい!と思っています。中にはそうでない方もいらっしゃいますが、積極的に印刷の加工について営業をしている加工所ならば少なからず、出来れば!出来るだけ!実現してあげたい!、と、そう思ってくれている事も加工を決めていく一つのポイントにすると、加工所選びの際にもいろいろと見えてくるかと思います。金額にしたって悩みながらセッティングしているはずです。元々は数を多く加工する事で利益を得ていた業態ですから、今のような変化に対してどのように接すればいいか考えて金額を練りだしているのも想像は簡単なはずです。技術の種類にしても、印刷というものにおいては、ありきたりで金額の安いものが拘っていないというものではないと思います。墨一色であっても、その策定次第で黄金に輝く何かに変貌をとげます。活版印刷はそういった意味では、部数が限定されたリトルプレスにうってつけです。そのような視点で見てみると、どこからを加工所に頼むべきか、は、加工そのものの品目への拘りよりも、目的や予算に合わせて方法や素材や技術を選び取り、その限定されたものから作り上げていく事の方が、印刷というものに対しての正しい姿勢だと言えるのではないでしょうか。

活版印刷ブームとはなんだったのか

かつて、活版印刷ブームというのがありました。もしくは今も継続しているとも言えるかもしれません。この活版印刷ブームにおける一連の流れも、また、ある1つの策定であったと考えられます。紙の風合いや、押しの強さ、活版印刷に用いられる専用インキの独特な墨のテカり、などなど、そういった、物質の変化、手触りみたいなものが、イイ!サイコー!となっているシーンが確実に存在していて、圧倒的な強さのハマり方をしたのが、あの活版ブームでした。もしかしたら技術的な古さも、良さとしてあっただろうし、同時に歴史の深さとか、そういったノスタルジー的なものが元々大好きな日本人の趣向にも上手にマッチしたのかもしれません。また、ある所では、組版的な意味合いを強めて、1つ1つ文字を組む、そのニュアンスの良さや、印刷所へ足を運ぶ面白さもミックスさせて策定してみたり、手キンに代表されるような個人ユースの活版印刷機も、その善いターゲットになったような気がします。fengfeeldesign個人としては、手キンはチョー欲しい感じですけど、それは置いといて、そういったものというのは、技術の高まりとは、少し違う側面の良さみたいなものを掬い取る事で、所謂、活版らしさみたいな、ふんわりした、これこそ日本人が趣向に感じる領域の丁度いい距離感の策定が実現し、機能したのではないかなーと想像しています。なんというか、本来、活版印刷が持つ、技術の高まりというものを一切合切に無しにした上で策定だったので、fengfeeldeisgn的には少し戸惑ったというか、初期からその流れを見ていた者としては間違った認識を印刷全体に与えるのではないかという心配をずっとしていたのを覚えています。fengfeeldesignの実家が、書類や伝票類を活版印刷で発注して販売する場所だったので、あの美しさが誤読されてしまうのではないか、というのは、実際にそうなってしまった今を振り返ると、あの始まりの時にもう少し積極的に自分の信じる方向の活動を興しておればと当時を少し悔やむ事があります。また、それが自分の勉強不足で興せなかったのは反省に感じつつも、ある一定のシーンではありますが、現在では上述の策定が活版印刷の主流になり、多くの人がそのような視点で見ている事は、本来の文脈としての消えゆくかもしれなかった活版印刷の延命処置として捉えるならば、善い策定であったと言わざるを得ず、少し複雑な心境ではあります。活版印刷はとてもシンプルな技術だし、少しの説明で物理的な判明は素人でも可能な範囲だからこそ、状況が想像しやすく印刷の中で、もっとも策定がしやすい技術であるとも言えるかもしれません。紙と版があって、ガシャン、と押すだけなのだから。また、組版の説明も言葉の意味も、活版印刷が元になっているし、もし、そのような本来の文脈としての活版印刷の策定が可能であるなら、こんなにも喜ばしいことはありません。また、ダイレクトに西洋からの文化が色濃く残った上での日本へマッチングさせた技術なので、そういった、デザインや、グラフィック、ビジュアル面において、印刷的な正しき美術価値、または手グセ、または感覚みたいなものを学ぶにふさわしい教材であると言えます。すなわち、本来の文脈としての活版印刷の策定を行うという事は、同時にそのような教材作りにつながるものと考えられます。その上で、あの活版印刷ブームというものを考察し肯定的に捉える事が出来るとすれば、その概要は、入門編でありつつ、それを楽しむ為の解説書、みたいな意味では評価出来るかもしれません。ただし、それが本来の活版印刷の文脈として捉える策定としては、とてもじゃないが、受け入れられるものではありません。そして、PRINT PUBでは、この活版印刷に関しての策定は、そのような目線で行っていく事になると思います。

改めて箔押しを考える

なんかこう、箔押しがダーっと現れた瞬間がありました。みんな箔押し大好き。特殊加工と言えば箔押し。みたいな感じで、もはや周知の事実みたいな事になりました。それでも知らねえやつは知らねえよ、というもんなのですが、印刷という名の樹海を知る者にとっては、特殊加工の目標となる、何かこう土台と言ってもいいんじゃないかな、と思います。ただ、ここでは、こう言い切ってしまいます。「その発端と全てはコスモテックでした。」なんと言っても、fengfeeldesignにとっても箔押しは、コスモテックでしか頼んだ事が無いし、それ以外は別物なんじゃないかなとも思ってます。中でもコスモの営業の青木さんの作り出した印刷の策定は、まだまだこれから効力を持ち続けるだろうし、たくさんの人が印刷加工を面白がる本能みたいなものを沸き立たせていくんだろーなーと予感しています。つまり、箔押し、というジャンルではなく、策定という範囲で改めて箔押しを考えるとすれば、ここでは箔押しはコスモテックを意味するのです。ついつい、印刷は技術の種類で判断し、その種類から会社を選定します。すなわち、それが今までの印刷の策定と言えましたが、そのような規模で全てが進行する訳ではなく、個人での発注と、企業などが発注する場合の違いにはとても大きな隔たりのようなものが存在します。まったく同じという訳にはいかないのです。例えば、個人で見積もりがきた時に絶対に逃さない前振りや、その受け皿となるビジネス体系の変化をいち早く取り入れて形にしたのがコスモテックであり、その営業の青木さんがキーパーソンとなったのは間違いはありません。もちろん、以前の策定の中での話し掛け、つまりジャンルに置ける箔押しの選定でコスモテックを選んだ場合でも、コスモテックの印刷機は稼働するだろうし、その視点においてもコスモテックのブランドに傷が付く事はありません。何故なら、そのように策定したからであり、新たにコスモテックを知り、発注にまで至った人達は既に、その策定の中で機能しているからです。もちろんfengfeeldesignもその策定に乗っかった内の一つだと言ってしまってもいいかもしれません。ただ単に箔押しと一言で言って見積もりを数社に提出させ、希望の金額と質に辿り着いた先にコスモテックが無かったとしたら、それは、ここで意味する「箔押し」にはなりません。会社が違う事はすなわち、種類としての「箔押し」であったとしても、別のものであるという理解が此処では大切なのです。改めて箔押しを考える時、今一度、会社、というものに焦点を当てて考えてみると、印刷を読む上で大きなヒントになるように思います。また、それは箔押しというものに限らず全てに当てはまります。例えば、fengfeeldesignが制作した花形装飾活字をコスモテックで利用する事を取り決めれば、それは既に策定された印刷とも言えるし、花形装飾活字というものが、活版印刷から存在している装飾美術という文脈から、印刷というものを策定してみるのもいいと思います。もしくは誰か別のデザイナーに頼んでみるとか、何処までを考えて、何処までを担うのかみたいな判断などなど、本当にたくさんの組み合わせと思考があるのですね。ただし、これらの全てを把握するのは大変難しい上に、誰かがその知恵を与えてくれるとは限らず、1から構成するとなるとかなりの勉学と訓練が必要です。はたまた、その能力に届かなければ、別の素晴らしき策定に乗っかるしかありません。これは現状としてそうなっている、という話しなのですが、やはり出来れば、発注者がその策定の細部までを管理し正しく認識する事で、それが同時に印刷としての拘りとなって、または仕上がりとなって表れてくるのではないでしょうか。既に、誰かの策定で印刷物を作っている事実の認識と、その策定を意識して自分たちで構築していく事が出来るという意思みたいなものが、コスモテックの「箔押し」に代表される策定のようにたくさんあって、それが閲覧と共有が出来る環境があれば、今よりももっともっと印刷が楽しくなるように思います。また、その発展にこそ、次の印刷があるように予感しています。

コスモテック http://blog.livedoor.jp/cosmotech_no1/
fengfeeldesignの花形装飾活字の数々 https://fengfeeldesign.booth.pm

印刷の完成

印刷の完成する地点は、それを捉える人々の目によって様々に変化します。商品の一部としての印刷、印刷そのものがアイテムだったりする場合、デザイナーだったらデータを納品した時かもしれないし、印刷側なら刷り上がりを納品した時かも、商人なら売れた瞬間かもしれない、はたまた、小説家なら書店に並んだ時とも言えるかもしれません。人を取り除き、印刷という現象だけで答えた時、印刷機が稼働し、紙にインクや加工を与えた時、と答える人もいるでしょう。もしかしたら、時間が経って古びたものに、その価値を見出したり、保存や残す、という意味での完成を唱う人もいるかもしれません。このようにザラっと書いただけでも、非常に多くの完成が印刷には存在している事が分かります。しかもこれは一部であると考えられますし、同時にそれくらい印刷というものが、たくさんの様々な人々に意識され、利用されている事の証なのでしょう。だからこそ、印刷のこれからの発展の為に、一定の完成の指標が必要だと感じます。このように、たくさんの完成の意味を持つ技術は、技術としての発展が多種多様になる傾向にあると思うのですが、本来の西洋が齎す印刷としての文脈とは少し離れた特異な状況であるような気もするのです。またはそれが日本独特の在り方だと言ってしまえばその通りですし、技術がたくさんあれば、選択肢も増え自由な完成をとても謳歌出来る事でしょう。ただし、それが本当に印刷なのでしょうか。印刷をもっと印刷として成立させ完成に近づけた時にこそ、それが印刷であると言えるのではないでしょうか。この文脈としての印刷を意識し定義する事で、技術の意味や存在意義みたいなものが、ある程度一定の方向に進む事になるし、そうする事で、その廻りに存在する概念も1つ1つのピースとして互いに関連を持ち合い、かつてない成立を生むのではないでしょうか。今のように自由すぎる主観が生み出す印刷は、本当に印刷と胸を張って言えるのでしょうか。しかし、残念な事に「正す」や「変える」事は印刷の衰退傾向にある今の現状では当然、無理な事は100も承知です。たしか、2000年代初頭に本気で、印刷が無くなってしまうかもしれないと感じた人々がなんとか努力して作り上げたのが今の印刷の状況である事は間違いはなさそうです。例えば、日本においての印刷の発展期に、この事が真剣に議論されていたのであれば、とても効果があったと思いますが、今となってしまっては、それは不可能に近く、今、議論したとしても、なんら意味が無く、その発展期に構築された、なんとも言えない印刷とは程遠い「策定」のまま、それだけが変わらず在り続けているのはとても胸が痛みます。そして、それが最高にとてもつまらない状況作り出している。凄く泣ける、やばい。もし救いがあるとすれば、技術だけは印刷として成立している中で、新たに個人で発注が出来るようになった今があるからこそ、その人たちが真剣に向きあい「策定」する事で、もしかしたら、という希望があります。もしかしたら日本人もカッコイイ印刷が出来るかもしれない!本当の印刷の完成が出来るかもしれない!それくらい、この印刷の完成について考える事は、とても重要で大切な事なのです。印刷は西洋から齎された文化です。もっと言えば、技術はドイツですが、文脈としてはフランスにした方がいいかもしれません。日本には版画というものがあり、その文脈での書体も存在していますが、それは少し除外した方がいいかもしれません。印刷を捉える時、技術とは何か、文化とは何か、そういうものが一定の水準で理解され、達成された時、本来あるべく完成に近づくのだという意識を持つと、技術としての印刷がより発展し価値が高まります。ただし、これは今ある自由に遊べる状況を剥奪し否定するものではありません。むしろ、今ある印刷の状況を謳歌する為の提案です。日本人向けにもっと書けば、今、あなたが関心を持ち向かい合っている状況や作っているものがダメ、という話ではありません。各々が立ち向かう、同人なら同人(コミケ的な、個人商店なら商店(匣の匣さん的な、アナログゲームの場合もあると思います。そういったものを否定する発言ではありません。むしろそういった状況の中で、より印刷が発展する為にどうすればいいか、という提案でもあります。つまり、そうする事で、様々なシーンで印刷を使用する際に、より価値の高い、より結びつきの強い、より芯のある印刷が「完成」に至るのです。それがここで意味する「一定の完成の指標」であり、それは、印刷の捉え方、意識のしかた、をとても変えるものだと思います。

印刷にとっての拘り

印刷にとっての拘りってどういうものを指すのだろう。紙とか、デザインとか、印刷の技術のジャンル、活版印刷とか、箔押しとか、他には無い見た事もない仕上がり、組み合わせ云々など。どれもこれも拘りで正解だと思うし、印刷という「拘れる」範囲の許容は、同時にその技術的な幅の広大さを思い知らされます。ただ、その視点では、オフセットは印刷にとっての拘りではない?普通の貼り箱や、単にミシン目を付けたりするのは、在り来たりで拘りとは言えない?などなどの疑問がどうしても残ってしまいます。また、僕は、私は、これに拘ってるからいいんだ、みたいな主観に陥らない視点というのは、なかなかに印刷の分野では見つけにくいのも現状なのかなと感じますし、それらをパブリックで共有しているのってあまり実は見た事がありません。印刷に関わる以上は技術の範囲を出る訳にはいかず、どうしても、それぞれを点として捉えざるえないのですね。なので、近さはあったとしても概念としての共有と発展の難しさというのは拭えないのが現状だと思います。皆が腹の中では自分が一番拘っていると思っている状況でありつつ、すぐに新しい拘りを見つける事も出来る、なんとも広い樹海のようです。そこで、1つ、提案としての「策定」があります。「策定」に興じる行為は、印刷を概念化し、その思想を共有、発展させる事が可能になります。なによりも、最終段階である印刷工程という名の、それまでに続く樹海に一本の道筋を示す事が出来るのです。また、単に、素材や技術、ジャンル、といった、分かりやすくキャッチーな言葉などに代表される、なんとも偏った印刷への拘りに終止符を打つ事も期待出来ます。例えば、新しい印刷とは何か、印刷にとっての商品開発とは何か、などもきちんと紐解く事が可能になり、知恵としての枝分かれの印刷概念の構築を行う事も出来るのです。「策定」は現在の樹海と化した印刷術の解決策の1つであると同時に、より、印刷術を楽しむ為の方法論、または概念であると、確信を持って言えます。もともとは、この「策定」は、それを生業にしている人たちの中でも極一部の人間が考えれば良いものであり、どちらかというと製造側よりも、それをビジネスとして成立させたりの営業側が、少しずつ時間を掛けて作り上げてきたのではと想像しています。しかし、現状として、個人が仕込みから印刷発注まで全て行う動きが活発した最近の動向から察するに、一人一人が、その能力を携えて、正しい認識で印刷を捉える事が出来れば、より素晴らしい印刷の達成の連続が発生すると考えています。そのような「策定」に拘った、デザインや、紙や、印刷の技術の選択を是非、皆さんには味わって欲しいなと思っているのと、一番の面白い部分として、それらの共有はオリジナリティを損ねる事なく、優秀な「策定」は真似る事が出来るのですね、しかも真似てもなんら問題がないのです。何故なら、既に私たちは、ある一定の「策定」を真似し続けていたり、誰かの誘導に乗っかっているからです。また、この「策定」は、個人のベクトルで変化やミックスなども自在に操れますし、本来は無数にあっていいはずのものなのです。そして、その1つの拘りはたくさんの人が使っても問題がない上に、無数に存在していたとしても、技術そのものを変えようって話じゃないし、素材を特別に作ろうって訳でもない、だからこそ、より「印刷」が「印刷」として在る為の概念でもあります。そして、この「策定」こそが何よりも「印刷にとっての拘り」なのです。

印刷を策定する

策定するぶんにはタダ。思ってみたり考えてみたりするぶんにはタダ。素晴らしいじゃないすか。お金が掛からないって。デザイナーとか、フォトグラファーとか、ディレクターとか、こういうものに従事している人達プロフェッショナルは仕事とし、お金を取ったりします。しかも細分化されていて、それぞれの役割の中で業界も仕上がっていて、その技術的な水準も相当なものに高まっていると思います。そうなんだよね、お金を取ったりします。それは多分、策定はとてもとても難しいものだからです。技術が必要なのだから、それは当然の対価だと言えます。しかし、その状況というのは、DTP以降、もはやそういった言葉でくくるのも恥ずかしいくらいの浸透率で、一定の形を保つ程度であれば、1人のリスクで印刷所を動かすまでにパーソナルなものになりました。そもそも、この細分化はDTP以前に組まれた技術や仕組みを、新たな取り組みの中で保全する為のものであると感じています。実際、その細分化自体は数を減らしているし、仕事でも予算はカットされて、極々少数で作業する事も見受けられるようになりました。その上で、最近、個人的な印刷を作る動きがとても活発化しているように思います。同人もそうだし、グラフィックデザイナーが個人的にアイテム作ってみたり、商品として作ってみたりしています。そんでデザフェスで売ってみたり、個人の雑貨店などに卸したりしていて、ある意味での市場みたいなのが出来上がってるみたいです。でも、なんつうか、全体的に見てすっげー策定が下手、めちゃんこ下手。なんでそれで満足出来てるの?ってぐらい下手。だって、印刷って策定しなきゃ、その魅力を最大限に引き出せねーじゃん。fengfeeldesign的にも、この下手感って一体なんなのだろうと考えてみたりしてみたのだけど、とくに答えなどは出たりしませんでした。とにかく、それぞれが頑張って作っていて、それぞれが頑張って売っていて、一応流行りもあったりして、なんか凄えなーってくらいなものです。印刷の技術に関する情報って、まあまあ解放されてきてる感じがあるし、それに関連した周囲の素材や状況ってのも読み取れるようになっているとは思うんだけど、感覚的に「印刷の技術」はめっちゃ向上したが、それを扱う側のスペックが2000年代初頭とそんなに変わってねえじゃねえかってのは分かった。このスペック、というかまさに策定の部分というのは、今や、個人で印刷を発注出来る状況だからこそ、無数に種類を発生させ、どこまでも逝ける状態が作れる。これって、業態化して細分化されて、一度固まってしまった策定の中では、変化が起きずらいし、再構成がとてもしにくい事を思うと、とても面白いとは思いませんか?既に高まった場所があって、それらを参考にしながらも、下手な人たちが頑張って印刷機を動かす努力をしているという、なんとも摩訶不思議な状況の中で、「印刷の技術」だけは常に一定で居てくれて、しかも向上の余地があって、あとは策定待ち、みたいな。きっかけとか行動のなんとやらはここでは取り扱いませんが、目的や行動の中で、何を刷るか、という印刷との間にある「策定」の部分が、今、いっぱい作れるようになってる。なんといっても、策定するぶんにゃタダだし、作っておけば、その時は無理かもしれんが、もしかしたら、それが使える時がくるかもしれない。技術の確立が達成されるかもしれない、予算が届くかもしれない、其処にたどり着く為の新たな策定に繋がるかもしれない。まあ、その策定が勉強不足で出来ないのであれば、デザイナーにお金払って任すのがいいと思いますが、下手でいいじゃん。じゃんじゃん策定を成立させ、なんか出来そうで良さそうなのが策定出来たのなら、それを印刷所に相談するとか面白いじゃないすか。また、その策定を公開などすれば、もうちょっとこれ、こうすればウマクいくんじゃね?などなど、そういった意見が外野から聞けたりとかさ。ここまで、印刷の技術が解放されていて、技術のジャンルとかで憧れもあったりなんかして、任してみたい印刷所とか多分あったりするんでしょ?じゃあ、なおさらちゃんと策定しないと、策定するぶんにゃタダなんだから、同じ経費としてのお金を払うのなら、そりゃもう素晴らしい策定を仕込めばいいんじゃないかな。カッコイイ印刷作ろうぜ、マジで。てか、作れるし。ホント策定次第。しかもいい策定は真似しちゃう。これも印刷の面白いとこなんだけどね。これから、この「PRINT PUB」では、そのような「個人で発注が出来る」善き策定を色々と仕込みつつ、しかも皆が使えるようにしていこうと考えていますので、お楽しみにー。

実現が出来る印刷と、実現が出来ない印刷の、境界線

まず、結論を書いてしまうと、実現が出来る印刷とは、「技術が確立」されていて、善い策定の中で予算に見合う点と点を結んだ線が「境界線」という事になるのだと思います。この「PRINT PUB」自体は本来は、6年前から発足し1年前に終了した、「デザイナー向け」の印刷情報コミュニティサービスでした。当時はグラフィックデザイナーそのものが印刷をしたくて夢を見ていた時期でもあり、その夢から醒めさせる事を目的とした活動でした。今回、fengfeeldesignが印刷に関連した活動を新たに再開するにあたり、当初は「PRINT MEETING」にしようかなーと、それくらい軽い名前に決めていたのですが、あえてこの「PRINT PUB」という名前で動く事を決めたのには理由があります。前述したように「PRINT PUB」はグラフィックデザイナーが夢見た印刷から醒めさせる事を目的とした活動だったのですが、それは、印刷の現実との接合性を高める部分に重きを置き、より確実性の高い印刷の実現を目指す為のものでもありました。それは恐らくトーンや名前を「PRINT MEETING」としたとしても、やる事が一緒だな、というのもあって、じゃあ、「PRINT PUB」でいいやという事で、今に至っています。「実現が出来る印刷と、実現が出来ない印刷の、境界線」を探る事、それが今回の大きな目的です。fengfeeldesignがこうやって動く時というのは、どちらかといえばポジティブな思考の場合よりも、状況がネガティブな場合がほとんどです。最近、というか、この10年で「印刷」において「拘り」を持つ事で、とても善い印刷加工物が手に入る事に気が付くユーザーが増えてきました。fengfeeldesignにもそのような依頼が3件に1件は来るようになり、出来るだけ、その願いを叶えるべく努力をするのですが、完成に至る場合というのが極々まれな状況やパターンも同時に増えてきました。また、その要因がfengfeeldesignの努力不足というものであれば、それはいたしかたないのですが、影響していると思われる要因として「デザインのひきだし」の存在に代表されるような傾向にある事がとても大きいと考えています。それは、何故か、あれは既にネガティブなものではなくなったからです。もはや号や思想を重ねる毎にとてもとてもポジティブなものになってきていると感じています。ポジティブな要因にはかならず「挑戦」が付き纏います。それは、その「挑戦」は残念ながら全ての印刷会社や依頼者に当てはまるものではありません。全ての印刷会社や依頼者がその「挑戦」に従事出来る訳ではないのです。ただし、あくまで状況がそうなのであって、決して従事そのものの権利を剥奪されるものではないと思います。この場合、それらの規模や予算や姿勢に大きなズレがあるのです。それがネガティブな要因としてあるからこそ、なんとも重い腰を上げ、この「PRINT PUB」を発動し、解決に乗り出す事をここに誓えればなと考えています。どうっすかね、改めてこのような概要的な文章を書いてみましたが、これからfengfeeldesignが「PRINT PUB」を使って何をしようとしているか見えましたでしょうか。ズレ、というか、正しい見方みたいなもの、拘るなら拘ればいいし、せっかくなら、印刷にとっての拘りとはなんなのだろう、または、そうですね、タイトルにあるように、それが実現出来る出来ないの「境界線」というものを、それぞれのユーザーがいい感じに探る事が出来て、より良い印刷に到達し達成出来れば、この活動も万々歳、と言った所でしょうか。「印刷策定の樹海にようこそ」、fengfeeldesignも皆に善き印刷を提供したいと思っているし、皆もそれを手に入れて欲しい。それが今回の活動の一番の願いだと思います。