印刷物を使ったコミュニティ

月刊タニシの事を、もう少し書きたいと思います。

前回の記事→ http://www.fengfeeldesign.org/print_pub/?p=219

もともとは編集長であるミワくん( http://miwakazuki.jp )にイタズラを仕掛ける事が目的でした。
そのニヤニヤ感に味をしめたのがミワくんの中学時代の同級生のヤスくんなんだけど、
なんかそれが面白くって続けてる感じです。
多分、一番の軸というか、
それさえ維持出来ればどのような状況でも良くって、
いっそ雑誌じゃなくていいくらいなのですが、
なんとも良い感じに型にハマったのが雑誌という形容でした。

雑誌を皆んなで作るワークフローなどの組み立てについては、
fengfeeldesign( http://www.fengfeeldesign.org )も凄く勉強になったし、
自分たちの言ったアイデアが形となって現れる感動を、
ミワくんもヤスくんも存分に味わったんじゃないかなあ。
青のりくん( http://www.aonorishimeji.com )も漫画とか文章のフィクションの組み立ての良い訓練になったんじゃないかな。
編集長のアイデアの組み方とかかなり神がかっているし、
そういう部分で、得るものがたくさんあったと思います。

月タニがピークだった時、
それはもう、お祭り状態でした。
雑誌を作る会議ももちろんあるんだけど、
それがきっかけで、
なんかしらん、毎週のようにミワくん、ヤスくんの同級の人達が遊びに来て、
魚やら、ハンバーグやら、全国各地の食材が届いたりなど、
それはもう宴会の日々が続きましたとさ。
そんな、色々と賑やかな状況を作るフォーマットにもなっていたような気がします。
最終的には兵庫の家島まで話は流れに流れて…
それが5年くらい続いたのかな、
今は、良い感じに落ち着きを取り戻し、
初期の自分たちが楽しむっていうスタンスに回帰してる訳ですが、
プリパブ01の盛り上げフォーマットも、
実は月刊タニシで培ったものを利用していたりします。

ある時にこういった状態を面白く言い表せた事があって、
まあ、今は凄く落ち着いた状態だと言えるんですが、
なんかこう「良い最上の遊び」をしているよねっていうのがあって、
これって多分、誰よりも体感していた皆んなが思っていた事なんじゃないかなあ。
ずっとやれって言われたら飽きるだろうし、やんないだろうけど、
それでもコミュニティ構築として「月刊タニシ」を捉えた時に、
誰でも寄ってくるという状況は最強だなあと思います。
なんか分からん寄ってくる、
え?なにそれ?ってなる、モックとしての実物がある、見れば、みんな仲間!みたいな。

なんかこう、趣味だとか、考え方などで人を分けたりするじゃないすか。
阪口はそういうのあんま好きじゃないんすよね。
内容が無いのに、なんか楽しくて、誰でも話に入れてちょっかいが出せる感じ。
理想の狂いでもなくて、なんでもよくって、とりあえず形になれば面白いみたいな。
阪口が何かを仕組む時はそういうようにする場合が多いんだけど、
まさに!「月刊タニシ」は、それらを言い表すのにピッタリであったし、
コミュニティとして本当に嬉しいものなんじゃないかなって思っています。
fengfeldesignが月刊タニシでやった事は、
「バカな事を自由に言っていい」し、
それが「実行力、実現力として」形になるという事を「肯定化」し、
しっかりと何が結果かという事を全員で受け止める事の出来るフォーマット作りです。
それを印刷物の策定として捉え「月刊タニシ」を作りました。

いつものオチですが
そしてそれが、
策定された印刷物と言っていいし、
凄く、印刷物な気がします。
印刷物だからこそ「おバカ」な「自由」もちゃんと面白く見れたでしょ?

フライヤーを作る

フライヤーもなかなか、印刷物としてはたくさんの種類がある分野じゃないっすかね。
fengfeeldeisgn( http://www.fengfeeldesign.org )の一番最初のメインの仕事はフライヤー作りでした。
なんか、印刷所の場所とか、
ISDNはじめちゃんなネットで調べて、
同人界隈のBBSに頼ったりなどして探したりしていたなー。
紙はコート紙しか選択肢が無い!とか、いやあ懐かしい。

そういうフライヤーを、
最近また、
STEEL DROPS( http://www.steeldrops.org )と関わる事で作る機会を得るタイミングが多くなりました。
まさか、また作る事になるとは!というのが正直なところだったのですが、
これがまた今の技術で真剣に作ってみたら面白いのなんのって、
当時の初心に戻る感じがしてワクワクしながら、
STEEL DROPSのフライヤーに関しては作ってますかね。

STEEL DROPSのフライヤーはこちら→
http://fengfeeldesignprinthistory.tumblr.com/post/151284450075/steel-drops-flyer-ver201610-direction-and-design

なんといっても、
カッコイイ!と手にとってくれる率がめちゃ上がる!
それがいいじゃないすか、
置くとしたら、デザフェス、クリマ、スチームパンク系のイベントなどなど、
自分で言うのもなんですけど、
オレがデザインしてもうたらチートやないですか!ばりに目立ちまくっているみたいです。

チラシとかと違って、
フライヤー!って、とりあえずなんかカッコイイ!でオッケー!みたいなノリだし、
やけに手の込んだものとかを見かけるとやたらに嬉しいし、
そういう雑多としたグラフィック1つ1つが街を作ると思うので、
ダサいフライヤーはマジないわーって感じですよね。
フライヤーこそカッコヨクあらねば!

いやはや、
勢いで書いてしまいましたが、
今回は、この「カッコイイ!」印刷物であるフライヤーという観点が、
かなり大切だなあって思うのですね。
格好が良いわけです。
格好が付くでもいいですし、
つまり格好な訳です。
印刷を策定したりする時に、
格好が付かないものってやっぱ意味が無いと思うんですよね。
体裁が保てて、品位が守れるものってのは、
そういった、格好の良い印刷物と相場は決まっているのです。

めちゃくちゃ面白いイベントが、めちゃくちゃダサイフライヤーとかは逆にカッコイイ場合もあるけど(笑
これないわー、じゃ、話にならない訳ですね。
ああ、すげえ!って思わせたら勝ち!みたいなとこあるじゃないすか。
どんなにカッコヨクても、あとで捨てられる確率はかなり高めだけども!
そういうのも無駄にお金を掛けてみても、それはそれで勝ち組っぽくて面白いし!

カッコイイ!フライヤーを作る事、
これだけでも十分に印刷の策定が出来ていると思います。

楽しむ背景

私たち日本人はコンテンツを楽しむ際に背景が不在の場合が多く、
コンテンツ自体に既に背景が用意されていないと、
何故それが楽しいのかというのが分からないという根本を抱えています。
これは別に今に始まった事ではないし、
作る側も自由に作っているつもりでも、
無意識の内に楽しむ背景を傍受しており逃れられないものなのだと思います。

私たち日本人には、デザインや印刷を楽しむだけの背景が無いというだけの話で、
おそらく、浮世絵や工芸に並ぶ職人技を楽しむ背景は持ち合わせているのですね。
この違いに気付けるまで、
fengfeeldesignはかなりの時間、無駄な苦悩を味わってきたし、
何か諦めない努力みたいなのをしてきたんだけど、
ああ、ダメなんだと思う他ないという事実があったのと、
グラフィックデザイナーとして生きいく中で、
自分の持ち得ているスタンスだと案件が少なく、活躍する事も出来ず、
仕事の話も途中で頓挫する事態に対して、
不条理を感じていたものが、
仕方がないというか、
それを楽しむ背景が無いのに、
無理やりはダメだよなーって思わしてくれたのでした。

そうなんですよね、
そもそも此処でやろうとしている事も、
そういった楽しむ背景が不在な所に、
一石を投じたくてこうしている訳で、
もしよかったら思いを同じとしてる人と話をしてみたいと思ってるんだけど、
まあ、少数派だから居ねえだろうなあという気持ちでもあります。
今まで会ってきたデザイナーでも居なかったもんなー。
いや、分かるんですよ、
居なくて当然、だって此処は日本だものね。
此処には此処の在り方みたいなのがあって、
其処にこそ在る理由のものを用意し、
それに従って、物事の概念を合わせていくしかないですもんね。
それがプリパブではグラフィックデザインであって、印刷であって、という話なだけで。

よく言うじゃないすか、
日本のデザイン、とか、
これって、デザインそのものではなく、
日本特有の概念、この場合は伝達としての言語とでもしておきましょうか。
その解釈の基でのデザイン、となる。
そのデザインから生まれた結果を、日本のデザインというべきかどうかが疑問なのですね。
だって、だって、違えば、印刷そのものが変わってくるじゃないすか、
グラフィックデザインを司って生まれた印刷という訳にはいかなくなるんじゃないすかね。
なんか逆算しちゃってるというか。

印刷にとって、
何が高度なのでしょうか。
デザインにとって、
何を高度とするのでしょうか。
プリパブでは、印刷を実現したいのです。
fengfeeldesignはグラフィックデザインが可能なのです。

みんなが分かっている範囲のものを作り、
分かっているからこそ賞賛に値して、
だから作る理由や価値があって、
そういう印刷の実現こそが、
グラフィックデザインを介して行われたと言えないでしょうか。
エンスヘデのフルニエの、
そういったものでさえも、
楽しむ背景さえ分からなければ「単なる素材」でしかないのは、
当然ではないでしょうか。

お金を出す人

以前、ある印刷物のブロジェクトの際に、
「お金を出す人」である出資者の方が、
自分はお金を出しているだけで制作している訳ではないから、
出来る人に自由にやって欲しいという理由で、
一歩、後ろへ下がるという判断をしてしまうという事があって、
いやいや、それはおかしいだろってなもんで、
デザイナーともどもと同じ立ち位置で話が出来るように仕組む、
という出来事がありました。

ついつい、作るものは、作る人を主役に置いてしまいがちですが、
僕は違うと考えています。
デザイナーとクライアントという立場以外の場合や、
会社のデザイナーであれば、会社の案件って事になるのでしょうけど、
どうしても目に映るのは作った人の仕事、もしくはスポンサーの、
どちらか一方なのは、
どうもやはり違和感というか、
もちろん、そういうのもひっくるめて1つの出来事であるが、
どちらか一方を主体として置くのはどうかと思うのです。

著作権などを主張するという行為は、
とても見苦しく感じてしまいますし、
もし、目的に対して物事をシームレスに運びたいのであれば、
それはとても不要で無駄なものだと考えています。

作ったものがあるだけの話なのだとすれば、
それに対して、自分がやったとか、そういうのは自由に言っていいと思うし、
それが作った側の権利であったり、
お金を出した側の所有物であったりするのは、
不自然に感じずにはいられないのです。
ただ、作ったものがあって、
結果があって、
そのようになった意図があって、
判断として、その方が良いというのであれば、
そうすればいいだけの話なような気もします。

良い話であれば、
そもそも、こういう事を考える必要はありませんし、
そうした方がいいという方法も自然と自ずと導き出されるものだと思うのですが、
それらを権利や決まりごとのように語るのは少し違うかもしれません。
そんな時に立場として、一番に台頭に立つのは「お金を出す人」すなわち出資者です。
印刷物にもかならず出資者が存在していますし、
その出資者は少なからず何かがあってその話を進めているに違いありません。
これはもしかしたらスポンサーという考え方から少し外れるとは思いますが、
それはとても仕事として捉えるなら契約によるものと推測されますが、
「お金を出す側」と「作る側」は対等であって欲しいなと常々考えていますし、
なによりも出来上がったものが強くある事を願っているのです。
つまり、
そのような奇跡を起こそうというのに、
一歩引く事は違うなと感じたのですね。

今の状況って、
印刷に限らずだと思うのだけど、
「こういうのがあったらいいよね」が大体の主流で、
今は少し虚構に寄っていってる傾向はありますが、
それでも、作る人だけが、スポンサーだけが描く夢では無くなっていると思うんですよね。
技術を保有している人がどんなに増えても、
それを理解して受け止める人が居ないと、
まず、出資は起こりませんし、
結果、自分たちで負担する事になる。
それは、もう、歴史的に見ても散々やってきたし、
その末路というのも過去から十分に学べるのではないでしょうか。

クライアントワークにも、
もしかしたら限界があるかもしれません。
より、「出来上がったものが強くある」状況作りというのは、
単に技術で語れる話しではないかもしれません。
高度な技術というのは、何に対して高度であるかでその意味が変わってくるとも思うのです。
可能性を感じませんか?
素晴らしい印刷の実現は、
高度な印刷加工の技術だけが引き起こせるものなのでしょうか、
それとも、大きな資金力を持った企業が引き起こせるものなのでしょうか、
偉大な作り手、もしくはデザイナーがもたらすものなのでしょうか。
歴史や文化は、過去になれば全てが切り捨てられ、新しくなるのでしょうか。
出来上がったものを賞賛出来るだけの批評力はありますか?

1つの奇跡を起こす時に、
考えなくてはならない事や、やらなくてはならない事は、山ほどにあると思うのです。
それは、様々な要因が含まれますが、
関わる全てのもの、人が、とても勉強した状態で、
それを現れる状況が整っていて、そういう事が起これば、どれだけ素晴らしい事か。
一部ではなく、全部が揃っている奇跡をいつか、かならず起こす、起こしたいと思う人は、
そういった専門家だけではなく、「お金を出す人」も含まれるべきなのではないでしょうか。

例えば、
お金を出す人が居て、
それらを実現するに必要な優秀な人達が居る状況を作るだけでも
それはもう十分に尊く、美しいものだと思うし、
その上で、素晴らしいものが出来上がるとなれば、
それが物質であれ、状況であれ、
こんな奇跡は滅多にありませんし、
それらを賞賛しないなんて凄くもったいないと思うのです。

ヒエログリフの展開について

kado the 108の時の失敗を拭い去りたくて作った部分が大きいかなー。
あ、いえ、ね、kado the 108は年末の31日の日に煩悩の数的な意味で、
シャレで、お歳暮というかお年賀的な意味で、
無料で配布したんだけど、
これがまた大爆発しちゃって、
最終的には推定だけど8万ダウンロードくらいされちゃって、
ああ、しまったなー、って思った訳です。
100円でも設定しとけば良かったなーって、
結果的にはfengfeeldesign( http://www.fengfeeldesign.org )には一銭も入ってこなかった訳ですから。
ばっちり将来の無い35歳、貧乏街道まっしぐらです(単なるバカなだけなのだけど

kado the 108は現在こちらで150円で購入出来ます→
https://fengfeeldesign.booth.pm/items/61639

ほいで、そのリベンジで、
じゃあ、次何を興せば同じくらいの現象作れるかなーってところで、
ヒエログリフがありました。
もはや、とくに愛とかは無いです。
お金が欲しいだけ、お金が手に入れば次の事が出来る感じ。
もちろんエジプト好きだし、
デティールの整ったヒエログリフを自由にデザインで使えるようになる事は、
凄い素敵な事だと思ってたのもありますよ。

ヒエログリフについてはこちら→
https://www.facebook.com/printersflowers/photos/?tab=album&album_id=959170410810621

で、150円だったかな。
やってみれば、これがまた売れねーでやんの(バズりさえしなかった。
スゲー!やっぱタダはスゲー!と思いました。
タダは偉大!みんな大好き!
でも、データ自体は優秀だしヒエログリフだしって事で、
ヒエログリフカード( https://www.facebook.com/printersflowers/photos/?tab=album&album_id=993300010730994 )
に始まり、
アクセサリー( https://www.facebook.com/steeldrops/photos/?tab=album&album_id=1763494480528590 )、
エジプシャンクラフトテープ( https://www.facebook.com/printersflowers/photos/?tab=album&album_id=1045172372210424 )、
エジプシャンクラフトシート( https://www.facebook.com/CosmotechInc/photos/?tab=album&album_id=1187313157967976 )、
マスキングテープ( https://www.facebook.com/printersflowers/photos/?tab=album&album_id=1178445025549824 )、
とヒットを飛ばしていく訳です(相変わらず僕にはお金は入ってませんが。
で、これアカンわ、ってなってデータ売るの止めて、
STEEL DROPS( http://www.steeldrops.org )を母体とした商品の共同開発と総括的なサポートに切り替えたという訳です。

そだなー、価値の担保って凄く難しいなと思いました。
皆んなが凄い!と思う瞬間を引っ張り出す感じとか、
まさにデザイン!ってやつなのですが、
やはり、ヒエログリフを取り巻く中で、
様々なお問い合わせがありました。
とくにこのデータを使って商品を作りたい系のやつが多かったですかね。
30件くらいだったかな。
どれも、fengfeeldesignに有利な条件のものがありませんでした。
ここまで、結果出るだろ、長寿命だろコンテンツって分かってて、
その条件かよ!ってツッコめるものばかりで、
もちろん、がんばれ!って気持ちが大きいのですが、
企業的なところの問い合わせでもそうだったからなー、凄く残念な気持ち。
せめてウィンウィンだったらなー。
で、結果的に、
一番いい条件だったSTEEL DROPSと契約したって感じです。
でも、他にいい条件があれば、身売りしまくりたいと思ってるし、
その場合はSTEEL DROPSも関わってくるから、
段々と金額は上がってきますし、条件もハードルが増えます。
もちろん、その金額に合わせて、やれる事も増えてくるだろーし、
そこはやっぱウィンウィンなんだろーなー。

みたいな書き方をするとダメですね(笑
いや、書き方は悪いですけど、
結構、普通の流れを分かりやすく書いてみました。

いやあ、fengfeeldesignの作るデータ、そんなに安いですかね。
今、それが一番知りたいかな。

花形装飾活字への募る想い

花形装飾活字というものを製作という観点から見始めて10年くらいが経ちました。
それまではどちらかというとミニマル主義というかtomato的な感覚的な何かが大好きな、
現代っ子一直線なグラフィックデザイナーでした。
もともとは写真をやっていたというのに、
たまたま参考に買った中島英樹の作品集に影響されて、
写真を学ぶ最高の環境に居たというのに、
その事をすっかり忘れてしまい、
デザインの領域に迷いなく踏み入れる事となり、
何故か花形装飾活字という謎ニッチなものに生涯を掛けるハメに。

fengfeeldesignが作った装飾活字のデータはこちらで購入可→
https://fengfeeldesign.booth.pm

装飾活字は、どうしてもある種のサブカル系の人達的なノスタルジー的なあれに見られがちですが、
fengfeeldesignとしてはあんまそこらへんには深く突っ込んでおらず、
もちろん嫌いではないですし、そういう見方があっていいと思いますが、
どちらかというとグラフィックデザインの1つの在り方として見ている場合が多いかもしれません。
装飾活字をグラフィックデザインとして捉えて利用する方法を、
ずっとひたすらに考えて作っている状況を続けています。

グラフィックデザインとは関係の無い人がこれを使っている像は、
今の所はあまり見ていません。
理想で語る事が出来るとすれば、
やっぱデザインとかって、一人でやるもんじゃないですし、
主観にしないで皆んなで見てみるってのが基本だと考えているので、
例えば、これを使ってウマイ印刷の実現が出来ればいいなあと考えています。
それが、そのきっかけとなる発起人が素人でもいいと思いますし、
グラフィックデザイナーである必要はまったくない訳です。
この装飾活字を使って何か印刷を実現したい。
でもその技術が無い。
誰か出来る人に頼んで作ってもらおう。
自分でやるのもいいですが、
誰かを巻き込んで、
誰かにやってもらう事の素晴らしさはとても大切だと思います。
今、一人で完遂出来ちゃうじゃないすか、なんでも。
装飾活字ってのを使うと、もはや一人何役なんだ状態になる。
それもいい、それももちろん、それが出来るのであれば凄い事だと思います。
そもそも、装飾活字自体が、
ある程度の実力があるデザイナーじゃないとウマク扱えないシロモノなんですが、
そういう人達に話し掛けて、
素敵な印刷物が出来ていく世界の方を見たいのですね。

でも、今は自分が使うからという理由なのです。
それもいい、それもいいのですが、
その範囲だと、この装飾活字というスタンスの能力の2割も使えていないのです。
もったいない!本当にもったいないのです!

あくまで理想です。

一人で作るのをやめてみる。
それはとても大きなハードルで、
状況と熱とお金が無いと出来ないものですが、
多分、そういう目線を持つ事で印刷は楽しくなるし、
その方がカッコイイ策定かなと思います。
そして、花形装飾活字をグラフィックデザインとして捉えた時、
もしくは、花形装飾活字を印刷に使用すると決めた時、
既に策定として起用出来ているような気がします。

STEEL DROPSとの取り組みについて

fengfeeldesign( http://www.fengfeeldesign.org )は2016年1月よりSTEEL DROPS( http://www.steeldrops.org )における、あらゆるデザインワークの全てを請け負っています。
2016年1月以前にも、fengfeeldesignはsteeldrops(この時は小文字)に関わっており、
この時には、ブランディングやデザインなどは一切行わず半ばオペレーターくらいの立ち位置にて、
ロゴから、販売用のツール、パッケージに至るまで、steeldropsの指示による技術提供で参加しています。
2016年1月以降は、それよりも踏み込む形で、
ブランディングやデザインを一手に引き受ける事となりました。

以前と以降での変化は大きく1つに集約されます。
それは、コミュニケーションを取りたい人数や規模の増大による、
ブランディングの必要性が表面化した事です。
その際に状況に合わせたデザインの見直しと刷新が行われました。

fengfeeldesignがSTEEL DROPSに行った事は状況に見合った状態を作り上げる事です。
これは特撮ギター研究所の時のように大きな箱を作って自由に動いてもらうのではなく、
ファッションという領域の特質でもありそうですが、
作家の「今」の状況をコミュニケーション出来るように、
立ち向かっているシーンと作っているものとがリンクするように仕組んでおり、
それがクライアントワークとしての単なるシステムや仕組みづくりに従事するのではなく、
ビジネスパートナーとしてのSTEEL DROPSとfengfeeldesignによるプロジェクトに成るようにも仕立てています。
それは、ファッション自体が人との対話で成立しているに他ならないからです。
単にカッコイイとされている、技術だけのビジュアル構築や、
サービスとして整えられるブランディングでは、来たる本番の勝負の時に負けてまうのですね。
本当に強いブランディングは、当事者で作り上げられるべきものだし、
其処から生まれるデザインにこそ真実があると思うのです。

例えば、野生の強さは絶対です。
天性というやつだけでも、そこそこ勝負は出来ます。
だが、本当にやってるやつは其処に知恵があるんです。
天性に知恵が付けばそりゃ最強でしょうよ。
これからSTEEL DROPSは其処に行かなければならない。
本番の強さを身につけなくてはならないし、
それに見合った状態を作っておかなくてはならないのです。

印刷に戻ります。
STEEL DROPSでの印刷の考え方として、よりコンテンツと同化を果たさなければなりません。
何を刷れば良いのかを、今のSTEEL DROPSに照らし合わせて分身のように仕立てなくてはならないのです。
それはフライヤーかもしれません。
ポスターかもしれません。
看板?説明書?招待状?パッケージ?タグ?
何が必要なのでしょうか。
その時の印刷の役目とはなんでしょうか。
見合った品質も考えなくてはなりません。
加工の技術も信用の出来る印刷所を選ばなくてはならないかもしれません。
紙の種類も相応しいものであらなければなりませんし、
文字組みも、レイアウトも、写真も、アートワークも、
あらゆる事柄を慎重に整えなければ、
違ったイメージをユーザーに与えかねません。

この場合、必要なものを要請するのはどちらなのでしょうか。
何が必要かをSTEEL DROPSが聞くかもしれません。
fengfeeldesignがこれが必要です、と言うかもしれません。
両方は十分に有り得る話なのですが、これではダメなのです。
まだまだ暴力的で雑いやり方だと思います。

本当に素晴らしい方法とはなんでしょうか。
何を必要なのかからを考えていくというものでしょうか。
アイテムが出来た時点で自然と出てくるものでしょうか。
時間の制約というものがあるかもしれませんし、
予算の問題をクリアしなければなりません。

fengfeeldesignによるSTEEL DROPSとの取り組みは、
其処にこそあります。
技術や知恵やアイデアや実力などが余りあるほどある時、
行きたい場所が一人では無理な時、
これが対話でありデザインが関わる印刷なんですね。
一定の正解の方法はありません。
互いの出来る範囲や思惑を探り続けなくてはなりません。
そして、高度なクリエイティブへ繋がるコミュニケーションへ、
答えを手繰り寄せたいのです。

これはSTEEL DROPSのみにあらず、
fengfeeldesignが一番皆さんと喋りたい部分でもあります。
もちろん、最初からはきっと無理でしょう。
だから、きっかけは技術だけでも良いのです。
その衝動でいずれ、たどり着く事が出来れば、
とても素晴らしい事だと思います。

あなたは何がしたいのですか?
私はその為に何が出来ますか?
クリエイティブの、デザインの、印刷の話がしたいです。

依頼をして印刷物を作るという事について

そもそもからして「デザイン」という言葉が色々とややこしくしてると思うのですね。
何を頼むかという視点で見た時に入稿出来るまでのデータが作れるなら、
印刷を頼むでいいじゃないか、って事になる。
データを作る事がデザイン?
意図したり計画したりする事がデザイン?
文字を並べたりする事はデザイン?
ああもう、ややこしいったらありゃしない。
「デザイン」が一般的な固有名詞になりすぎなんだよな。
「デザイン」はですね、
凄く高度な専門領域だと思っていてください。
「デザイン」ってなると金額高いじゃないすか、
それはね、「デザイン」するって事になるとめっちゃ難しいからです。
必ずの正解を100個とかの話になってくる。
それは、大きな企業とかには必要な訳です。失敗出来ないから。お金も掛けれますし。
そうなってくると最高の「デザイン」の提案が出来るという事になる。

別に印刷物を作るだけなら、
「デザイン」という概念を持たなくても出来ます。
まあ、そういう見方をしてみてもいいんじゃないですか、ってのが、
最近の流行りみたいになってるみたいですけどね、
fengfeeldesignとしては、
「デザイン」というもの自体を簡単にしてしまって、
誰にでも分かってもらおうってスタンス、めっちゃ嫌いなんですよね。
難しいものなのだし、皆んなが理解出来る訳ないし、
日本でもし簡単に優しく「デザイン」を解説する場合「デザイン」そのものを解説って事になるじゃないすか、
だからダメなんだよね、定義自体が曖昧なまま語句だけが定着している状況で、
それは不味いだろって感じで、
あと、そういう意味でコミュニティデザインとかマジでファックだなって思う個人的見解は置いといて、
そうですね「デザイン」という言葉が、
もはや、ややこしくしてる悪の根源だと思います。
ただし、「デザイン」というものを行使する事で、
より素晴らしい印刷を手に出来る事も確かであり、
これも、何を「デザイン」なのかにするかで話は変わってきますから、
依頼者がどのように見ているかで変わってきます。
やはり、「頼み方」というものに準ずる訳ですね。

そこで、
一旦、「デザイン」というのを無くして「印刷」というものを見てみると、
刷る目的とする内容、完成された書体、整えられた文字組み、素敵な絵や写真など、
要素としてシンプルに引き出す事が出来ます。
それらを綺麗に技術を使って並べればいいだけの話で、
で、今なら入稿する為のデータの技術という事になる。
そしたら、あとは入稿するだけですから「印刷物」は成る訳です。
ポイントは、それらの一連の作業をデザインとするべきかどうかです。
ここでは、あえて、「いいえ」を選択します。
「デザイン」ではありません。技術のみで構成してしまえば良いのです。

印刷物を依頼する時、
または、入稿データを作成を依頼する時、
少し留まって考えてみてはいかがでしょうか。
あなたの必要としているそれは、「デザイン」ですか?「技術」ですか?
歴史の順番がヒントになるかもしれません。
何を隠そう元々は「技術」があって「デザイン」という概念が生み出されました。
「技術」が私たちの生活をもっと豊かに出来るかもしれない可能性を探るもの、または運動に「デザイン」はありました。
そして今は「デザイン」から「技術」へという感じで逆走を始めています。
ただし、これは最先端であって、とても高度な人間のコミュケーションの結果が生んだ専門領域なのですね。
もっと分かりやすく「イノベーション」という言葉が「デザイン」と入れ替わる形で使われ始めてもいます。
そういう概念の殴り合いみたいな領域なのです。
どういう概念で、あなたは印刷物を見ていますか?その概念の設定を組み立てる「デザイン」という依頼が、
あなたの頼もうとしている印刷物には必要ですか?

「デザイン」をあなたが必要とする場合、
デザイナーとのコミュニケーションを大事にしなければなりません。
注文通り、希望通りのものが出来ていないからといって、
そのデザイナーがプロであるなら、間違ったものを提案していないはずです。
もしくは、何を対話とするのかを考えなくてはなりません。
あなたの希望とは?求める完成と結果とは?
其処から話をしなければなりません。
あなたのその意図は、ある判断の回答の1つでしか無いのです。
その回答を、意図を、デザイナーは依頼者とともに考えるのです。
それを仕事としています。

我々が想像しているよりも、
印刷物を作る上で「デザイン」が関わる必要の無い場合が多いのかもしれません。
それはもしかしたら、この日本という場所で「デザイン」というほどのコミュニケーションが、
まだ発達していないかもしれないという事を示唆しているかもしれません。
または「デザイン」というものが、あたかも必要ではないようにする為に、あらゆるメニューが整えられています。
これは、もともとの日本の商いの形に似ています。
それらを極めて「デザイン」に近い形容の「デザイン的」な目線で見ているだけかもしれないのですね。

それは、コミュニケーションが他国と劣っている訳ではありません。
単純に、独特しく発展した我々の言語を用いたコミュニケーションで、
高度な印刷物の実現に至っているという事でもあります。
デザインというものを意識せずとも、それをわざわざ依頼しなくても、
欲しいものがあり、作ってもらいたい形が備わっているだけの話なのかもしれません。

依頼をして印刷物を作る時、
この事を少し思い起こしてみてください。
あなたが頼んでいる相手は「デザイナー」ですか?
あなたが頼んでいる内容は「技術」ですか?

何を整えれば良いのですか?

「takeda 108」の時に起こった事

竹田くん( http://goatgraphics.net )っていう、今は東京で頑張ってるデザイナーの子が居てね(最近連絡無いけど元気?
めちゃんこ努力する子で、キャリアも評価も知識もオイラなんぞよりもたくさんあって、
IPTで入選もしている実力もキチンとある子で、
ただ、なんとも、表現の荒さ、というかビートの雑さの目立つ製作をやっていたので、
いつも阪口はタイポグラフィを根差す中で必要不可欠なのでツッコみを入れるなど、
いや、でも本当に才能はあると思うんだけどね(己のセンスに気づけば最強。
最近どんなものを作ってんだろーかなーと心配になりつつ、
プリパブ01の時に突如として連絡をくれた内の一人でもあります。

枠内としてはプリパブ01なんだけど、
なんかこうちょっと性質の違いがあって、
「布陣」を揃えたチームでの制作という意味合いがとても強いかなあと思います。
適材適所的な。
takeda 108に関して言えば、
阪口は実際の制作には手を加えておらず、
多分、ディレクションよりも後ろに居る感じかな。
本当になんかこう、布陣のバランス取りぐらいの存在。
竹田くんから上がってきたデザインにピーチクパーチク、
ちゃんと評価される程度までに高めてあげる事を口出ししたり、
ミワくんと紙に塗布する薬品を実験、調節したりなど、
あとは、青木にいやんと、インキの順番とか、どうやって見せていくかとか、世間話とか、
そういうのを話したりしていました。

takeda 108についてはこちら→ http://fengfeeldesignprinthistory.tumblr.com/post/46852476177/takeda-108-kado-the-108-direction-fengfeeldesign

なんかでも、これってやっぱディレクションじゃないと思うんですよね。
ディレクションはまだ、作る側って感じじゃないっすか。
感じ的に布陣のバランスを取れるクライアントで居る意識が強かったような気がします。
竹田くんから上がってくるデザインの舵取りもあくまで消費者目線だったし、
ミワくんとの調節もかなり個人的好みに寄せたものだったし、
青木にいやんとも、単に依頼者目線で言われるがままに100パーセント信頼した感じだし。

クライアントが動かずにやる場合に、
ディレクションって必要になると思うんだけど、
例えば、クライアントである主体が、
デザイナーの事を知っていて、紙にダメージを与えたいと思い、その加工が分かる人の事も知って居て、
印刷加工所に持っていけるような状況であれば、
「takeda 108」で起こった事は作れるなと思いました。
もちろん、お金があれば、ですが。
それは多分、相場で語れないものがあると思うんですよね。
クライアントが何をデザイナーに頼み、何を技術者に頼むか。
欲しいものが的確にイメージ出来ていれば出来ない訳がないのです。
もっと言えば、何を分かっていれば良いのか、という観点をクライアントが持ち合わせているかどうかってのがあれば、
印刷の策定は出来るって事でもあります。
むしろ、印刷の策定は、そういう人達の手によって作られた方が健全なのですね。
プリパブ02では、特にそういう誘導が出来ればと考えていて、
デザイナーでもない、技術じゃない人達が、印刷について考えるきっかけになればいいなと思っております。

そういう意味でも、
takeda 108は、とても面白い事例なんじゃないかな。
多分、仕事として捉えた時に、日本のグラフィックデザインとしてはあまりない事なのだけど、
同時にそういうクライアントワークを求めて居るデザイナーというのは、
下請け的な仕事に、なんかもううんざりしているフリーランスに居そうなものだし、
ほら、こうやって、カッコイイ!印刷物を所有するのは、あなたの頼み方次第だったりします。
何を頼むか、何処までを頼むか、面白くするにも、つまらなくなるのも、様々です。様々なのです

欲しいものを作れるデザイナーと知り合いですか!?加工所に声を掛けれますか?!
だって、ほら、そういうの自分でやっちゃえば責任は自分にある訳だからさ、
それ相応の金額を「自分」でセッティングして提案しなきゃいけないじゃん。
安いとその分しかやってくれないし、高く出せるなら賞賛してるって事だし、
分からないなら、お金掛かっちゃう訳、ほぼそういう人件費って事でいいと思うよ。
何故ならね、何故ならね、本当に出来ちゃう優秀なデザイナーって、技術者って、
デザインする事、加工する事は苦じゃないのよ、労働とは思わない訳、ただ、評価して欲しい訳ですよ。
あとは機材代とかのバランスね。
そういうのを想像して分かってくれるクライアントを優秀な人達ってずっと待ってる訳。
分かる?クライアントとして、何を勉強しなきゃいけないか理解した?

理解した人達が増えた時。
それはもう、素晴らしい印刷物に溢れるよ。
だってそれは作り方次第でしょ?
それが、「takeda 108」で起こった事です。
こんな小さな片隅での出来事だけど、
密かに凄い事が起こっていたんだぜ。

「音楽サイエンスビュアNR」について

漫画家の「青のりしめじ(以後、青のりくん) http://aonorishimeji.com 」というやつがおりまして、
平たく言えば阪口( http://fengfeeldesign.org )の従兄弟なのですが、
二十歳を過ぎてからひょんな事からじっくり喋る事があって、
その底なしの面白さに気付かされたのです。
何も意志が無いというのに、ただただひたすら面白い。
なんなんだコイツ?!って事で、
ちょいちょいちょいって感じで、
こちら側の世界に引き込む事になり、
まんまと犠牲者となった一人です(こらこら。
ちょうど、高校は進学校のくせに、
京都精華のマンガ学部に見事にビリで進学してしまっていた頃でした。

中学校と高校の頃は、ヒエラルキーの底辺を行き、
だからといってオタクというスキルを持ち合わせる訳でもないので、
そこいらと結果的に関わる事も無かったようで、
なんとも自らのカルチャーをひたすらに突き進む人生を歩み、
阪口と絡む事となった訳です。

青のりくんは漫画家でありながら、
音楽のレヴュアーとしても2ちゃんを騒がせ、
レーベルの社長代理になったり、
アマゾンのレビュアー1000位ランカーという異名を持つ、
客観的な音楽観を持ち合わせたレビュー文章を書かせたら右に出るものは居ない、
もはや、なぜ、お前はライターをせずに絵が下手なくせに漫画家なんだ!
とツッコミを耐えきれない感じの人物です。
いえ、漫画とても面白いです。
さっさとデビューしろよって廻りから言われまくってるくらい面白い。

なんかでも阪口としては、
この青のりくんの文章力についてはかなり評価をしていて、
時々、阪口の書いた文章の推敲作業や、
文章の解説をお願いしていたり、
特撮ギター研究所( http://www.miwakazuki.jp )の各々のアーティストの解説などは、
全ての青のりくんの手によるものです。
月刊タニシ( http://www.goccoproject.net/getutani/ )の特集記事も阪口とともに共に書いてくれているし、
中にある白黒のページのタニシ体験談などは青のりくんの手によるもので、
フィクションを作りあげる能力は、
多分、阪口やミワくんなんかよりも断然に上だなあって感じてます。
ミワくんは負けを譲ろうとはしてないけど、
全ての意味を汲み取り条件をクリアした上でトリックも入れてくる、
あの感じはなかなかに出来たもんじゃないと思います。

そんな青のりくんと最初に始めたのは、
「西田辺レコード会( http://www.fengfeeldesign.org/nishitanabe_record_kai/ )」というレコードを買い漁る会でした。
そこでも軽くレビューは書いたりしていたのですが、
本懐であった、箱いっぱいのレコードを寄付していただく、という目的の為だけに動いていた会なのでした。
その目的も、もうお腹いっぱいてな感じで大成功する形で終焉し、
この会の主役でもあった、ミワくんのお母さんも、宝塚歌劇にドハマリする事になり、
ムトくんもボードゲームの方に行っちゃったし(これについてもこれから書いていきたい、
自然消滅する形で、終わりを迎えたのでした。

この頃から、
音楽に関しての何かを形に残したいねえって話を、
青のりくんとしていて、
それは、自分たちがブッキングしたアーティストによる音楽CDなのか(ムトくんとかベーシストだったし、
雑誌なのか、レビューブログなのか、皆目検討は付けてなかったのですが、
なんとなく、紙媒体の文章を書いた何か、というふんわりしたものだけが、
話として残り続ける事になります。
でも、それが音楽の冊子なのか、は、
今更?!感もあり進める気が互いになかった事を覚えています。

そこにひょんと企画としてあがったのが、
「月刊タニシ」だったのです。
実は最初、これ、ミワくんと阪口が酔っ払って、
こんな雑誌があったら面白い!という話だけをしていたのを、
阪口が面白がって、次の日にミワくんにいたずらで、
青のりくんと共同で、それっぽい「表紙」のみを作るというのをやったのが始まりでした。
それが思ったより面白かったのですね、
あ、じゃあって事で、
其処にたまたま居たヤスくんと一緒になって面白がって作っていったのでした。
あの時の居合わせた偶然とかタイミングとか、
今でも覚えているけど、
本当になんかヤバさあったなあって思います。
で、
案の定、「月刊タニシ」に飽きてきます。
どうにもこうにも、フェイクやフィクションを書き続けるには熱が続かなかったのもあるし、
なによりも、自分たちの紙媒体に文章を載っけた何かが既に満たされた結果になったのが大きかったかもしれません。
つまり、「月刊タニシ」においての実行部隊というのは、
阪口と、青のりくんであり、
あの完成度というのは、このコンビだからこそ出来たマジックみたいなものがあるかもしれません。
何故なら、ミワくんと、ヤスくんの無茶を、
どのようにして現実に落とし込むかだけに作業は集中していたので。

月刊タニシが一旦終了して、
西田辺レコード会も自然消滅した時に、
ちょうど夏休みの宿題で、近所の子供と雑誌作りを手伝う事になります。
その時にスピンオフ的に完成したのが「NR」の前身である、
エセお洒落音楽雑誌っぽい「西田辺」だったのです。
この時に、あ、「月刊タニシ」で冊子を作る編集体力付いたし、
そろそろ、自分たちの作りたかった音楽雑誌作れんじゃね?
って事で、始まったのが「音楽サイエンスビュアNR( http://www.fengfeeldesign.org/nr/ )」だったのです。
今は一冊のみ(通販してるので是非)ですが、
完成度はとても高いと思いますし、
時間に揺るがない、良い内容の印刷が出来たんじゃないかなー。
やっと、青のりくんと一緒に作りたいねー、っていってた1つが、
印刷によって叶ったのはとても良かったと思います。
そういう意味では実現までに4年くらい掛かったのかにゃ。
こんな印刷もあるんだよって事で。
また作りたいなー。