雑誌は仮想で作れる

「月刊タニシ」は全ての設定を仮想という定で作る雑誌です。
雑誌という形態の冊子でさえも、一冊か二冊は「モック」で作ったぐらいで、
実際にはデータとしての中身のある7冊分のみが存在しており、
そもそもの根底からが全て仮想で成立しています。

月刊タニシ公式サイト
http://www.goccoproject.net/getutani/

月刊タニシ公式ツイッター
https://twitter.com/gettanisan

月刊タニシ公式フェイスブックページ
https://www.facebook.com/getutani/

制作メンバーとしては、
編集長は特撮ギター研究所( http://www.miwakazuki.jp )のミワくん、
デザインと文章はfengfeeldesign( http://www.fengfeeldesign.org )の阪口、
漫画と文章は、漫画家の青のりしめじ( http://www.aonorishimeji.com )、
マネージャーはご近所のヤスくんで作ってます。
あとあと、
今ちょっとネットブックストア閉鎖していて、
雑誌データについては2016年10月よりフェイスブックページにて順次再公開の予定です(是非チェック。

月刊タニシの概要について
https://docs.google.com/document/d/1NYNkTOSDT4rX5qUSAyJaDvkmH-R_8sQ4ZejLzknUrjI/edit?usp=sharing

ネットで、
まるでそれが本当に雑誌であるかのように見せびらかし、
内容やタニシ廻りの設定などを仮想し作っただけで、
ラジオ、テレビ、雑誌、ネットメディアなど、
サイズ的にも決して小さくはない範囲で、
そのタニシというテーマの奇抜さ故に存在を取り上げられる結果となりました。

人々はもはやツイッターのみの情報を鵜呑みにして、
雑誌が存在するかどうかの事実よりも、
タニシという雑誌が存在しているという一点のみに興味を抱いた、
その上での結果であると言えます。
本当の所は道徳的に嘘はダメ!となりますが、
これを仮想としてしまえば、
いくつかの可能性が示唆出来てしまうのですね。

まず、1つ目の可能性は刷らなくても、もはや雑誌は存在出来る、
または、そういう雑誌があるという状況は作れるというものです。
逆に刷る事自体が既に仮想で、実在している雑誌の捉え方など、
人々が雑誌に求めている挙動みたいなものが、
ここにあるのでは?と見る事が出来ます。
つまり、雑誌という、情報や時事的なイメージが強い内容を扱う特性ゆえに、
それが既にネットメディアで満たされていて、
それらを拡張する状況が雑誌にある、という事を踏まえたとして、
雑誌という閉鎖空間の中での、
タニシという異常性が今回のような動きを作ったのではないでしょうか。
そして、それが仮想という状況で行われていた事実は、見逃してはいけないと思うのです。

次に、
タニシ業界の状況や、編集部があるという事のフェイクを除けば、
れっきとした雑誌であったと言えるかもしれないというものです。
しかもこれは、雑誌という背景を作り出す事で引き起こした、
印刷という歴史の正統的な電子化に成功したと言えないでしょうか。
印刷とは、紙にインキを乗せて、大量の複製を行う事を前提に置いた技術です。
ただ、それが、紙やインキといった物質を介していないというだけの話で、
あたかも存在出来るという状況をデータの状態で作りあげる事が出来たのなら、
しかも、人々の興味を獲得するに至るものであったのであれば、
フェイクという悪意を除くとして、
メディアに雑誌として取り上げられた事実は成功だったとは言えないでしょうか。

最後に、
そういったエンターテイメントの取り扱いに、
雑誌という媒体が残る可能性があるかもしれません。
ゲームの中に仮想の会社を作るように、
エウレカセブンの中にあったレイアウトのように、
雑誌という媒体はそれだけで既に価値があるコンテンツとして私達の中に根付いています。
それらを利用する形で雑誌というものを仮想すれば、
紙媒体として売れなくなった時に形骸を残す事が出来るかもしれません。
月刊タニシの雑誌として行った雑誌の形骸は、
少し古い状況を作り出す事です。
80年代、90年代くらいの雑誌の状況を中身として作り出す事にありました。
ただしゴシップではない形で、です。
そしてこの仮想こそが、これから紙媒体の雑誌という形骸だけになった時に、
継承していく為のヒントにはならないでしょうか。

月刊タニシを、
このプリパブで取り上げたかったのは、
面白おかしく笑う為のものではありません。
雑誌というものがすっかり一発ネタの面白くもなんとも熱のないものに変化してしまった今だからこそ、
その原因が売れなくなり、作る側から面白い人が居なくなったという事であるのなら、
単に紙媒体としての雑誌は残り続けるでしょ、って話ではなくて、
仮想で作る事で、こんなにもメディアで取り上げられ、
売れるチャンスがあり、人に見てもらえるかもしれない事をお伝えしたかったからです。
もう一度、面白い雑誌というものに夢中で取り組む状況として、
あの時のような熱で「雑誌は仮想で作れる」という事に着目してもいいかもしれません。

「ヴァイオリンギター poster on ロックンロール三銃士」という奇跡

あ、そうか、これって一応くくりはプリパブ01( http://www.fengfeeldesign.org/print_pub/?p=7 )なんだ。
アーカイブの表記見て今気付いた。
プリパブ01の記事をプリパブ02で焼き直す作業(笑
リンク先の内容については、
4年前の状態なので色々とご愛嬌いただきたい感じですが、
「ヴァイオリンギター poster on ロックンロール三銃士( http://fengfeeldesignprinthistory.tumblr.com/post/41007950090/httpwwwfengfeeldesignorg-%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%AE%E3%82%BF%E3%83%BC-poster-on )」ででん!という訳で
そうそう、コスモテック( http://blog.livedoor.jp/cosmotech_no1/ )の青木さん(以後、青木にいやん)と、ミワくん( http://www.miwakazuki.jp )、阪口( http://www.fengfeeldesign.org )の3人で、
なんか記念碑的なコラボ出来ないかなあって事で始まった、かなり特別な企画です。

最初は、箔押しでモアレ出来ないですかねーって感じで始まって、
結果的にあまりモアレなかったけど…ホントすみません(もう少し線数減らせばいけたのかなあ
あと、この制作は結果的な完成の枚数もめちゃんこ少なくて、
そういう意味でも特別な制作と言えるんですが、
個人的にはこうやって、三人で作れたのが底なしに面白かった記憶があります。
今回書く内容としてそこが一番のポイントになるかな。

ミワくんが作ったヴァイオリンギター、阪口のデザイン、青木にいやんのディレクション、
この3つの奇跡があればこその実現だし、
今、バラバラだが、
ミワくんも評価され、阪口もまあまあ名前も広まり(装飾活字的に)、青木にいやんは言わずもがな、
そんな今があるからこそ、
この企画がより当時よりも光って見えるような気がするのです(箔押しだけに…。
なんか、そういう印刷もあるぞ!って凄く面白くないですか?

アート的な作品とは違う、
編集された情報がリアルタイムで面白くて以後古くなっていく感じともまた違う、
ノスタルジー的な意味での価値とも何処か違う、
価値が現在進行系で息づいているというか、
そういうのって、本などのアーカイブ的なノリの「印刷」とは違ってはいるが、
その時の奇跡を記録するという意味で紛れもなくこれはやっぱ「印刷」といっていいものなんじゃないかなー。

阪口は結構こういうの好きなんですよ。
やったった感というか、
勢いみたいなものを印刷で打ち付けてやったぞ!ていうノリ。
大体からしてプリパブ01がそれだったんで。
なんかこうセッションというか、
絶対続かないだろうなあっていう確定するぐらいのゆるい繋がり、
その時にしか集まってやらない奇跡みたいな感じ。
この瞬間に生まれる「印刷」ってやつ。
まさに勢いだけの「印刷」!

そうかそうか、「プリパブ01」の時で「特撮ギター研究所」以降の話なのかあ。
頷ける頷ける。

「特撮ギター研究所」の名刺について、または策定とデザインの関係性。

まず、書かなければならないのは「特撮ギター研究所( http://www.miwakazuki.jp )」はfengfeeldesign( http://www.fengfeeldesign.org )によるデザインの作用で発生したものであるという事です。
何故なら、何かを活動する時、人に見せつける時、その姿勢や在り方を決めるのは名前だからです。
名前によって全てが伝わります。
名前によってこれからを提示します。
コンセプトの全てが込められていたり、
この名前を背負う事で責任が発生し、名乗る事で背筋が伸びる事はとても大切な事だと考えています。

印刷はそのような捉え方1つで変化をもたらします。
単にフライヤーか、大それた記念碑かは、
それらを策定する際の想いや熱量に関わるからです。
名刺であれば、名前や肩書きや、何を掲載していくかなど、
伝えたい事柄やそういった覚悟みたいなものは、
「名刺をデザイン」するなどでは到底辿り着けない策定含めて、
本来、デザインとするべき対象が其処にこそあるはずです。

名前は名乗りをあげて使い続ける事で、
たくさんの人に知られてこそ真実味を帯びます。
それは、印刷として紙に刷られる意味も同時に高めてくれますし、
当事者にとっての分身にもなりえます。
もしかしたら他者が見たら、恐れ多いものになるかもしれません。

そのような、印刷物を見る眼差しにおいて、
単に技術の奇抜さや高価さなどで謳ってばかりで良いのでしょうか。
それは本来あるべく印刷の意味を覆い隠してしまうのではないでしょうか。
箔押しだから凄い!
ではなくて、この名前が箔押しだから凄い!からこそ、
印刷が美しく素晴らしいものとされているのだと思います。

また、fengfeeldesignがデザインに関わる中で、
一番気にかけているのは其処とも言えます。
それは「特撮ギター研究所」についても例外ではありません。
「特撮ギター研究所」をこれからミワくんが背負っていくに相応しい状況にしなくてはなりません。
なによりも、これはプロジェクトであって個人ではないという事を忘れてはいけません。
「特撮ギター研究所」に関わる全ての状況が影響して形作っていくのですね。
個人ではないからこそ、
fengfeeldesignが関わり、形を作る事が出来るのです。
それはクライアントの場合もあるかもしれません。
「特撮ギター研究所」がカスタムした商品を手に持つ事で、使用する事で、
「特撮ギター研究所」という名前を背負う事にもなります。
「特撮ギター研究所」がどういうものであるかで、商品の扱いが大きく変わります。
もちろんそれは「特撮ギター研究所」にとってもクライアントの状況を背負うという意味でも同義であると考えます。
「特撮ギター研究所」カッコイイ!にする為にも、今までもそうでしたが今後の設え方で変化が生じるのです。

例えば、これからご説明する名刺について言えば、
名刺を加工してくださった加工所も「特撮ギター研究所」に関わり形を作った1つである事は言うまでもありません。
そうやって、何かに関わり、どのようにそれを受け取り、背負うのかは、
これからの「特撮ギター研究所」の在り方にとても大きく作用するからこそ、
慎重に考えなくてはならないのです。
同時に其処にこそデザインがあります。
この話は、もう少し先になってから出来ればと思いますが、
この一点だけをどうか忘れないでおいてください。

「特撮ギター研究所」の名刺は「特撮ギター研究所」でやっていこうと決めた時に作る事になりました。
コスモテック( http://blog.livedoor.jp/cosmotech_no1/ )での箔押しにする事になったのは、かなり自然の成り行きだったので詳細は覚えていませんが、
それくらいの意気込みというか、覚悟というか、これでやっていくんだ!という気持ちの強さがミワくんにも阪口にもあった事はとても覚えています。
だからこその自然の成り行きだったのかもしれません。
最初の頃は、「特撮ギター研究所」としての経歴は何も無く(実務はありましたけど)、ただ、作品として作ったカスタムのギターだけがありました。
本当に最初は何も無いところからのスタートでした。
当時は、「特撮ギター研究所」をこのような感じにしたい!とか、ゴールをここに定めたい!とかをたくさんミワくんから聞き出したりとか、
それだったら此処までいける!とかを阪口がツッコンでみたりを話してばかりだった気がします。
これは、ミワくんの口から機会があれば話して欲しい事柄なんですけど、
実は、その時に喋ってた事が「特撮ギター研究所」では全て形になり、
あの時に想像していた「特撮ギター研究所」にようやくなりました(まだまだこれから面白くなっていくだろうなー。

そして今、節目の瞬間でもあって、だからこそ、何処かでそれを議事録的に書きたくなり、
このPRINT PUB 02という場所を借りて書いている訳ですが、
この時に作った名刺に相応しい「特撮ギター研究所」として在る状況が作れています。
その一代目がこちらになります→
http://fengfeeldesignprinthistory.tumblr.com/post/50559220937/client-miwakazuki-httpwwwmiwakazukijp
紙はマイカレイドに金ツヤをシンプルにドカンとね。
初めは穴も空く予定だったんすけど、それはさすがにやりすぎって事で、
このような完成になりました。
名刺としては、一枚あたりの金額がとても凄いので、
最初ミワくんは「身に合わない」ってずっと言ってましたし、
「渡すたびにビビられる」ってのも毎度のように言っていました。
当時で考えれば、こうありたい!という理想だけで突っ走って作ったものですから、
そりゃそうだよなあって感じなのですが、
でもやっぱ、そういう熱は伝わるものだし、
名刺だけが要因という訳ではないにしろ、
段々とそういう「特撮ギター研究所」として見られているなー、
という実感のある案件が増えていった事実もありました。

「特撮ギター研究所」以前の状況というのは、
姿勢を示していない時でしたから、
「ギターのカスタム」というイメージの範囲内での話ししか来てなかったのですね。
それは仕事としては充分に名誉な事ですし、
その時の技術的な裏打ちがあるからこその今なので否定などはありませんが、
名前を作り、名刺という物質を作り、そういう感じでやっていこう!みたいな姿勢というか実感が、
「名刺」を通して感じられた貴重な体験だったと思います。

そして二代目→
http://fengfeeldesignprinthistory.tumblr.com/post/108905731205/%E7%89%B9%E6%92%AE%E3%82%AE%E3%82%BF%E3%83%BC%E7%A0%94%E7%A9%B6%E6%89%80-name-card-printingdirection
文字周りは少し変えましたが、ほぼ一代目と同じで、
今度は紙はプライク、つや消し金 No.108てなところで仕留めました。
この時は、既にある程度の実績を抱えていて、
思っていた「特撮ギター研究所」の具体像が見えて来た時期だったのを覚えています。
二代目を見ると、一代目に比べて落ち着きがあるというか、
一代目はちょい賑やかな感じがします。

一番伝えたかった事が遠回しで伝えきれなかったので補足として、
印刷は「紙くず」にもなるし「記念碑」にもなります。
それぞれで同じ加工であっても変わりはありません。
どんな加工でも「紙くず」は「紙くず」だし「記念碑」は「記念碑」たるものになるのですが、
それが同時に「策定とデザインの関係性」であるとも言えます。

名刺を作る

日本人大好き名刺!印刷と言えばの代名詞の名刺!
という事で名刺です。
fengfeeldesign( http://www.fengfeeldesign.org )の経済サイズでの単発で受ける仕事は大体は名刺かなーって感じです。
え、デザイン出来るの?名刺作ってよ!みたいな感じで。
名刺はサイズが小さいので四六判全紙3枚50切りあれば印刷廻せるしで紙選びたい放題だし、
様々な印刷加工を挑戦するにはとてもいい媒体とも言えますし、
安くしようとすれば、何処までも安く出来ます。
ベーシックの中でもベーシック。
印刷の策定の範囲で捉えた場合にも、こんなにも大勢に広まった策定も珍しいんじゃないでしょうか。

MAC以前の印刷でも、
別に専門領域が存在して居なくても、
刷って欲しい情報だけをもらっておいて、
活版なら一文字ナンボみたいな感じで文字組みをしてくれていたし(今も木の版でやってるところある、
過去には写植の場合もありましたし、ゴム印(樹脂板)的な感じなのもあったし、
載せたい情報さえあれば、仕事が回ってる時期がありました。
それくらい、ポピュラーで簡単に優しく実現出来るのが「名刺を作る」という理解で良いと思います。
今も、そういった昔の活版な感じをご希望される方もいらっしゃいますし、
あの時の手軽で高品質な買い物という感覚は、
気を使わなくても、とりあえずいい感じに全部やってくれる、
日本人的な消費に沿った素晴らしい策定であったとも言えるような気がします。
技術的な面は名刺を刷るに足る領域で既に完成に至っていたしね。

デザイン、という目線で見れば、
単発という概念でもオッケーだと思うし、
全体としての計画の一部として見る場合だってあります。
ただ、「名刺を作る」という策定という意味合いで答えるなら、
fengfeeldesignの場合は、
単発で受け取るかなあ。
そういう依頼が多いってのは前述した通りなのですが、
あえて、名刺は単発としての策定とする場合が多いです。
何故なら、fengfeeldesignと接する人達というのは、
一人一人で頑張っている方が多いからです。

会社の、とか、組織の、とか、
そういうのはまた別の策定の違う意味での「名刺」という事になってくるのではないかな。
ギリ、チームで、とか、
そういう個の強さみたいなものが全面に出たような「名刺」は、
その責任の裏付けが個人に集中している場合の依頼がとても多く、
fengfeeldesignで、「名刺」を作るという意味は、
そういう場合を表しています。
逆に全体としての計画の一部の場合は、
どちらかというと、そういうデザインを「作る」という意識で挑みますので、
やはり、「名刺を作る」という策定とは少し違ってくるのかなと考えています。

一例として、ミワくん( http://www.miwakazuki.jp )の「名刺」があります。
一番最初の「名刺」は画像は残っていませんが、
とてもシンプルにゴシック体で、
名前があり、住所、電話番号、アドレスなどがあり
オフセットの単色の墨のみで大変ベターなものでした。
ただ、紙はかなり拘って選んだ記憶があります。
当時は「特撮ギター研究所」の名称もありませんでしたし、
ギターのリペア、カスタムの営業を目的に作ったものでした。

fengfeeldesignが印刷を整える際に心掛けている事は、
どのような印刷の仕様であっても耐える事の出来る版を作る事です。
白い紙に墨一色で刷ったとしても、
UVでもニスでも箔でも、どのような刷りを行なったとしても、
同一の版で美しい刷り結果になるように繰り返し使えるように強固に作ります。
なんかこう、色々とテイストなどが語られるじゃないっすかデザイン的な意味で。
人々の注文に合わせて、その人に合わせて、
文字の感じはこうでえ、とか、カワイクー、とか、
そういうのって、結構マジで意味が無いと考えていて、
まあ、技術ですので、書体など含めて使える道具は限られているし、
その道具の範囲でどうかって事ですので、
その範囲で美しければ、人々は納得するし、その姿勢に当てはめていくものだと思います。
道具はやっぱ、正しく使ってこそ発揮出来る訳です。
同時にそれは印刷としての美しさに繋がりますし、
それは恐らく、デザインに関わらない範囲の出来事でもあります。
ほら、前述した、情報さえあれば体裁を整えてくれるってやつ、
この時って、デザイナー不在なんすよね。

つまり、ミワくんの名刺の最初は、
デザイナーとしての仕事は、ほぼほぼする事はなく、
単に、オペレーター、プリンティングディレクション的な事に専念した名刺になりました。
ただ1つ、注意いただきたいのは、
だからと言って、それが下にあるという訳ではありません。
それはそれで、立派な、ある「名刺を作る」印刷の策定を利用した訳ですから、
その高まりを最大限に利用していただいた名刺に仕上がったのは言うまでもありません。
単に、デザインをその策定に入れなかったというだけの話なのです。
結果だけ言うと、5年くらい同じものを使ったんじゃないかなー。

どうしても、
MAC以降って自由に出来てしまうから、
好み合わせてとか色々と出来てしまうから、
そういう、人の直感とか意識に作用してしまうものだけれど、
もちろん、それはデザインの仕事の範囲だと言えちゃうんですが、
その印刷の策定は、デザイナーとしても、依頼者としても、とてもナンセンスだと思うんですよ。
すっげー、感性と技術を持ち合わせた人が大勢で手間を掛けて作った書体を何処まで信じてあげれるのか、だし、
押し付ける訳ではありませんが、
そういう意味読みをして名刺を頼んでみるのも一興だと思うんですよね。
それは多分、依頼者も同時に策定に参加した瞬間であり、
そのような時にウマく選んであげて、
綺麗に整えてあげる、デザイナーとは違う意味合いの仕事をしてあげる訳です。

そして、特撮ギター研究所としての今の名刺に繋がります。
これは一代目→
http://fengfeeldesignprinthistory.tumblr.com/post/50559220937/client-miwakazuki-httpwwwmiwakazukijp
んで二代目→
http://fengfeeldesignprinthistory.tumblr.com/post/108905731205/%E7%89%B9%E6%92%AE%E3%82%AE%E3%82%BF%E3%83%BC%E7%A0%94%E7%A9%B6%E6%89%80-name-card-printingdirection
これについての詳細は次回へ続きます。
何故ならこれについては「名刺を作る」という印刷の策定ではなく、
デザインが関わってくるからです。
タイトルは『「特撮ギター研究所」の名刺について、または策定とデザインの関係性。』とかにしとこうかな。

作家「三輪一樹」との出会いについて

印刷と何が関係があるんだ!という感じですが、
特撮ギター研究所( http://www.miwakazuki.jp )、月刊タニシ( http://www.goccoproject.net/getutani/ )、STEEL DROPS( http://www.steeldrops.org )などに関わる印刷の策定は、
作家としての「三輪一樹(以後ミワくん)」との出会いがなければ成立しませんでしたし、
様々なヒントがこの事例にはあるなーと感じています。
大体からして、ミワくんとは隣に住んでいなかったら出会わなかったろうし、
互いに友人にするタイプじゃない事は、
多分、廻りの皆さんも散々承知の感じではあるのですが、
それくらいジャンルが違う同士が会う事に躊躇が互いに無かったというのも、
こうやって、活動の関係が細く長く続く要因にはなってるのかなと思います。
阪口は最初、顔を合わせた時に、うわあ、しまったー、ていうのが正直な所でありつつも、
今も、もちろん、コイツとは合わないなーと思いながら(ミワくんもそう思ってるでしょうけど、
今日に至る活動になってる訳ですね。

最初のミワくんからの依頼は、ギターのヘッドロゴのデザインでした(これも追々書いていきます。
9年か、8年くらい前だったかな、
当時もfengfeeldesignは、あまり単発での仕事って受けてなかったんだけど、
ギターをカスタマイズする現場にグラフィックデザイナーとして関われるなんてあまり無い事ですし、
打ち合わせしていく内に、
ギターの装飾に使用している技術が想像していたよりも、
印刷分野で手伝える部分が多いというのが判明していったってのがあって、
結果的に依頼を受ける事になったのが特撮ギター研究所になりSTEEL DROPSに繋がったという感じです。
ただ、やはり、互いの考え方の違いがあまりにも大きい為、その違う考え方の幅を狭めて1つの形に落とし込んでいく、
という基本姿勢は、この時の依頼の在り方で大体成立していて、それは今の状況とあまり変わっていなかったりします。
まあ、少しくらいは、ツー、と、カー、の部分が増えたのかなあと感じてますが、
それでも、根本的な考え方の違いの溝は埋められないままになっています。
ただ、同時にそれが、これらのデザインに繋がっているだとすれば、そうなのだろうとも頷けるかなあ。

このギターのヘッドロゴのデザインのギャラはホルモン鍋を奢ってもらうというものでしたが、
そのホルモン鍋の席で、ようやく望むべき今に至る契約を結ぶ事となります。
ただ、この契約は最初、特撮ギター研究所に対してのものではありませんでした。
その話を書くのは、もう少し先になると思いますが、
きっかけは「オレ、出来るんですよ!」「めっちゃ凄くなるんですよ!」とか言うので、
「じゃあ、言ってるだけじゃなくて、やれよ。」ってのが、この契約の根本に根付いてるからこそ、
今もこうやって続けれてるんだろうなあって思いますし、
結果的に、互いにそれを言い合ってるのが続いてるだけなのが本当のところだったりします。
ミワくんが、バカげた事を言い、fengfeeldesignとしての阪口がそれを具体化するという感じで。

そのような中で、どのような印刷物というものが出来上がっていったのか、
そりゃもちろん、どうしたって活動する中で印刷物は必要になってきますし、
その関わりの中で特別な制作として仕上がっていったものもたくさんあって、
その中で起こった出会いや、出来事というのは全部をひっくるめて、
「印刷」だったと結構、断言してしまいたくもあります。
つまり、そういうものがなければ、
これらの「印刷」群というのは生まれてこなかった訳ですし、
「印刷」という行動や考え方にこそ、
昨今語られる技術の基礎があるのではと考えているのです。
何故、これは活版印刷で、箔押しで、オフセットなのか、
PRINT PUB 02では、「技術」という意味での「多様性」を考えるのではなく、
1つの技術で、如何にどれだけの「多様性」に富んだ「印刷」が在り得るのかというのを、
探索出来ればと思っています。
その場合に作家「三輪一樹」という存在はとても大きく、
一番近くで関わってきたfengfeeldesignとしての阪口の目線で、
これから、それら印刷に纏わるストーリー的なヒストリーを書いてまいります。

また、それらの策定は、依頼としてのデザインを介した印刷を越えた何かをとても感じています。
デザイナーとして関わる中で、このようなクライアントに出会う事はとても稀で貴重な事だと思いますし、
いわゆる常識化してしまっている業界として仕事として成立する類の印刷物とは、
少し異質で、まったくの別物のように目に映っているのですが、
まさしく、その部分が策定であり印刷にとっての「多様性」を生み出しているのです。
同時に「グラフィックデザイン」の質の変化にも大きく作用するのでないかと、そのヒントになるのではと、期待しています。