楽しむ背景


私たち日本人はコンテンツを楽しむ際に背景が不在の場合が多く、
コンテンツ自体に既に背景が用意されていないと、
何故それが楽しいのかというのが分からないという根本を抱えています。
これは別に今に始まった事ではないし、
作る側も自由に作っているつもりでも、
無意識の内に楽しむ背景を傍受しており逃れられないものなのだと思います。

私たち日本人には、デザインや印刷を楽しむだけの背景が無いというだけの話で、
おそらく、浮世絵や工芸に並ぶ職人技を楽しむ背景は持ち合わせているのですね。
この違いに気付けるまで、
fengfeeldesignはかなりの時間、無駄な苦悩を味わってきたし、
何か諦めない努力みたいなのをしてきたんだけど、
ああ、ダメなんだと思う他ないという事実があったのと、
グラフィックデザイナーとして生きいく中で、
自分の持ち得ているスタンスだと案件が少なく、活躍する事も出来ず、
仕事の話も途中で頓挫する事態に対して、
不条理を感じていたものが、
仕方がないというか、
それを楽しむ背景が無いのに、
無理やりはダメだよなーって思わしてくれたのでした。

そうなんですよね、
そもそも此処でやろうとしている事も、
そういった楽しむ背景が不在な所に、
一石を投じたくてこうしている訳で、
もしよかったら思いを同じとしてる人と話をしてみたいと思ってるんだけど、
まあ、少数派だから居ねえだろうなあという気持ちでもあります。
今まで会ってきたデザイナーでも居なかったもんなー。
いや、分かるんですよ、
居なくて当然、だって此処は日本だものね。
此処には此処の在り方みたいなのがあって、
其処にこそ在る理由のものを用意し、
それに従って、物事の概念を合わせていくしかないですもんね。
それがプリパブではグラフィックデザインであって、印刷であって、という話なだけで。

よく言うじゃないすか、
日本のデザイン、とか、
これって、デザインそのものではなく、
日本特有の概念、この場合は伝達としての言語とでもしておきましょうか。
その解釈の基でのデザイン、となる。
そのデザインから生まれた結果を、日本のデザインというべきかどうかが疑問なのですね。
だって、だって、違えば、印刷そのものが変わってくるじゃないすか、
グラフィックデザインを司って生まれた印刷という訳にはいかなくなるんじゃないすかね。
なんか逆算しちゃってるというか。

印刷にとって、
何が高度なのでしょうか。
デザインにとって、
何を高度とするのでしょうか。
プリパブでは、印刷を実現したいのです。
fengfeeldesignはグラフィックデザインが可能なのです。

みんなが分かっている範囲のものを作り、
分かっているからこそ賞賛に値して、
だから作る理由や価値があって、
そういう印刷の実現こそが、
グラフィックデザインを介して行われたと言えないでしょうか。
エンスヘデのフルニエの、
そういったものでさえも、
楽しむ背景さえ分からなければ「単なる素材」でしかないのは、
当然ではないでしょうか。

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