ボードゲーム論考


ボードゲームが流行っている、そんな噂を聞いたのは数年前参加したコミティアで、同日開催されていたゲームマーケットというイベントを知ったことがきっかけだった。

最後に買ったハードがPS2で生涯一番遊んだゲームがスーファミのマリオという僕のようなあまりゲームに縁のない人間にとっては、ゲームマーケットというのはセガとか任天堂とかいった有名なゲーム会社が新作の発表をして、その度会場がワーッと盛り上がるような、そういう外人4コマの元ネタのような世界が広がっている場所だと思っていた。

しかし実はゲームマーケットにはTVゲームやアーケードゲームの筐体のような電源必須のゲームは一切出展されておらず、完全に電源不要のアナログゲームだけを扱ったイベントになっているということを知り、僕の中で一気にイベントへの関心と、そもそもアナログゲームでイベントってどういうことだ?という疑問が膨らんだ。コミティアの会場は例年コミケと同じ東京ビックサイト、ゲームマーケットもその中でいくつかのホールを貸し切って開催されている。つまりそれだけの規模の需要が今この日本にあるということである。それは一体どういうことなのだろうか?僕にとってそれはあまりにも意外すぎる現実だった。

一般に日本人の日常におけるボードゲームとはどんな存在か、またはどんな存在だったか。日本のボードゲームシーンについて思うことを書いていく前に、まずはシーンの外側から見たボードゲームについて、僕個人の、ボードゲームに対して愛着を抱いているわけでも嫌悪感を抱いているわけでもない、ごくごく普通の当たり障りのない付き合いをしてきた人間の回想として、少しだけ簡潔に振り返っていきたい。

ボードゲームといういう言葉を聞いて、僕がまずパッと頭に思い浮かべるのは「人生ゲーム」や「すごろく」といったサイコロを使うゲームだが、実は将棋やオセロ、チェスといったゲームも定義によればボードゲームに含まれているらしい。何か盤のようなものがあって、その上でゲームが展開されるものであれば何でもボードゲームと呼んでいいようだ。
また、記憶を遡ってみるに、将棋やオセロ、人生ゲームやすごろくをそれぞれ「それ」、としてプレイしたことはあっても、それらを「ボードゲーム」として意識して見たことはなかった気がする。どれもルーツがバラバラだし、ルールもそれぞれ別にあるし、そしてどれも混ぜて遊べないくらい確固たる個性と完成度を持っている。
だからそれらは自分にとって完全に別の「ゲーム」であり、すごろくや人生ゲームと一緒くたに意識することはまずなかった。何か統合的な括りがあったとするなら、「ボードゲーム
」というよりは、それらをトランプやUNOなどのカードゲームと全部一緒にして(「TVゲーム」に対する)「アナログゲーム」として認識していたような気がする。

「アナログゲーム」はスーパーファミコンであったり、プレイステーションであったりの新作ソフトが常に発表され続け、そのどれもがすばらしくおもしろく、同時にポケットモンスターなどソフト単位での大ヒットの渦中にもいた小学生当時の僕(平成生まれ)にとっては圧倒的にださい遊びであり、おそらく僕の周りの友達にとっても、常にテレビゲームの下位互換のさらに下位互換のような存在だった(下位互換はたまごっちなどのそれでしか遊べない携帯ゲーム)。友達の家に行ってアナログゲームで遊んだ記憶はないし、そんなゲームで遊ぼうと誘ってくるクラスメートには何か家庭の問題があるんじゃないかと不安になった。それならむしろ鬼ごっことかの方が楽しかったしずっとダサくなかった。まだ自分の家にテレビゲームがなかった頃、それだけで自分には友達を家に呼ぶ理由がないと思ったのを覚えている。だから将棋やオセロも何もかも、テレビゲーム以外のゲームは恥ずかしいものとして大人以外とはあまり遊ばないのが普通だった。アナログゲームはテレビゲームを知らない人と遊ぶ時のゲーム、テレビゲームがないとき代わりに遊ぶ無人島のサバイバル術みたいな消極的な遊びという感じだったと思う。町内会のビンゴ大会が関の山といった感じだ。けれども世代的にアナログゲームと無縁だったかというとむしろそうではなく、例えば『遊戯王』のような爆発的にヒットしたカードゲームがいつもそばにあった。

『遊戯王』は今でこそカードゲームが有名だが、元はジャンプで連載されていた漫画作品で、連載当初は世界のさまざまなおもちゃやボードゲームを、主人公がそれを使って敵とバトルするいう形で紹介していくという少しトリッキーな漫画として始まった。だから紹介されるホビーとしてガレージキットなど『遊戯王』を通して知った世界もあるし、海の向こうに様々なゲームがあること、TRPGなどの存在もこの漫画を通して知った。そしてそんな漫画作品の途中から本編に登場し、そのままカードゲーム化されたのが『遊戯王 デュエルモンスターズ』で、これは当初カードダス形式で販売されていたが、ブースターパックが販売された途端爆発的に流行した。レアなカードには1枚3000円近い値段がつけられ、それを買い求めて大勢の子供が生まれて初めて近所のおもちゃ屋、ホビーショップに足を運んだ。そこには子供達が遊戯王カードの入ったファイルに夢中になる中、ガラスケースの向こうには多くの海外のボードゲームが整然と並んでいた。
僕の場合それが海外のボードゲームの実物を見た初めてだったと思う。店にはそういったゲームのプレイ用テーブルも併設されていたが、大抵遊戯王ブームにわく子供達に占領されており、逆に普段のこの店の利用客層であろうおじさんたちの居場所がなかった。店内は常に子供の声で騒がしく、時々なんだか年季の入った感じの常連っぽいおじさんがデカい箱を介して店長と熱いトークを繰り広げている場面に出くわしたりする以外はそういうものに対する「ちゃんと買う人がいる」場面も見たことがなかった。ケースの向こうのゲームはいつも日に焼けており、結局一度もそれが開かれるところを見たことはなかった。そしてそんなゲームの正体に触れることのないまま、いつしか店は潰れ、気がつけばブームも終わり、そういったカードゲームが流行し続けていることを知りつつも、もう自分ではやろうと思うこともなくぼんやりと距離を置く日々が続いていった。
しかし思えばその時の経験、遊戯王というカードゲームの流行を通じて様々なアナログゲームの存在やその世界の入り口を経験した人は無数にいるのではないかと思う。

だからゲームマーケットがアナログゲームのイベントであると知った時、僕の脳裏に真っ先に浮かんだのは遊戯王やそれ以降雨後の筍のように大量発生した同系のカードゲームのことだった。それだけならある種簡単に納得できる現象だった。なのでそこで「ボードゲームが流行している」という話を聞いた時、僕は衝撃というより純粋な無知から来る疑問でいっぱいになった。上でも書いたようにその時点で自分が知っていたボードゲームと言えばすごろくや人生ゲーム止まりで、どれも桃太郎電鉄みたいにテレビゲームでやった方がおもしろい、むしろそういうゲームに基盤を提供するためだけに存在しているような、そんなどうしようもないゲームばかりだった。打ち棄てられた歴史の遺物、それだけがボードゲームという言葉のイメージを形成していた。だからそれが”流行る”とはどういうことなのか、その皆目見当の付かない感じにかえって引き込まれていく自分がいた。ボードゲームはそれくらい自分にとって異文化だった。

ここまで書いたことをまとめると、ボードゲームとはごくごく普通の(少なくとも本人はそう思う)幼少期を過ごした人間にとって、遊戯王のようなメジャー、けれどもぼくらの世代の間だけで流行していたようなカードゲーム以上に、フツーに生きているだけではまず目にすることも触れることもない娯楽だった、いうことだ。自分の経験を簡単に一般化するのはあまりよくないことだと思うし、記憶以外のどこにも根拠のない話ではあるが、友達が皆64やゲームボーイカラーを持っていたあの時期、それらの友達が、いやその中の誰か一人だけでも、『カルカソンヌ』や『カタン』をこっそり持っていたとはとても考えられない。小学生の流行の最先端であるコロコロコミックにもアナログゲームの特集が載っていた記憶はないから、当時全国的に見ても小学生の間でアナログのボードゲームが浸透していたということはなかったように思う。ボードゲームはあっても高いし、まず現物を置いている実店舗がカードゲームより圧倒的に少ない。そしてそういうお店に足を運ぶ人はあまたの趣味の中でもごく一部の大人達だけで、最初から圧倒的にハードルが高いというイメージが常にあった。漫画『遊戯王』のTRPG編のような、金持ちの子供が稀に持っていたりする金の張る遊び、そんなイメージが実際にボードゲームをプレイしてみるまで付きまとっていた。

僕が実際にボードゲームをプレイしたのはつい最近のことで、遊んだ種類もあまり多くないが、今この文章を書くにあたってAmazonでざっとプレイしたタイトルを調べてみたところ、レビューの多くついている、人気の高い定番的なゲームはある程度遊べているということがわかった。まだ自分でゲームを買ったことはないし、人に誘われた時だけプレイするという感じで、専門店やイベントに自分から足を運んだこともないが、家にテレビゲームのない、友達の家に遊びに行った時しかPSで遊べない子供のような視点から実際のゲームプレイを通じてボードゲームという文化に触れた感想を書いていきたいと思う。

ぼくが最初に大きな衝撃を受けたボードゲームは『プエルトリコ』という作品で、このゲームは港を舞台に、よその植民地と交易を重ねながら一番資本を獲得できた人が勝ち、というゲームである。この簡単な説明だけで、「え?アナログゲームだよね?」と思ってしまう人もいるかもしれないが、ゲームはずっしりとした重量の箱に入った各自それぞれ固有のボードと数種類のコマ、カードを使って約90分から120分ほどの時間をかけてプレイする。まるでプレステのシュミレーションゲームをそのままテレビの世界から引きずりだしてきたような、それでいて生身の人間の思考が激突することによりテレビゲームでは考えられないほどの奥行きと先の読めなさで展開していく重厚な戦略ゲームで、プレイした後は異常な疲労感に苛まれるほどである。僕はこのゲーム以前にも数種類のボードゲームをプレイしていたが、それでもこの時感じた、アナログゲームの持つ圧倒的なポテンシャルの衝撃には未だそれを超える感動を味わえていないままである。アナログゲームのイベントが東京ビックサイトで開催される理由や、ボードゲームが流行っている理由も、言葉ではなくそのプレイ1回で理解できたほど、『プエルトリコ』というゲームは圧倒的だった。これくらいおもしろければ流行って当たり前、一言で言ってしまえばそれくらい大きな高揚感を、アナログゲームという文化に対してその時感じた。

それ以外のゲームについてもおもしろいものはたくさんあり、種類がありすぎてとても1つ1つ紹介していけないのだが、全体的なざっくりとした印象として、「これは金脈だな。」と感じた。ロックを知らない人が初めてApple Musicでロックの名盤を1枚聴き、その後そんなアルバムがまだ1000枚も2000枚も眠っていることを知って味わう、その世界にどハマりしていくことへのちょっとした恐怖と、こんなの知ってしまっていいの?という何だか誰かに申し訳ないような喜びのないまぜになった感情である。
日本ではボードゲームという文化自体がまだ手付かずの荒地だが、海外ではもう既に素晴らしくハイレベルの作品が出尽くしたと言っていいほど出版されており、そしてそんな宝の山の一部が少しずつ日本にも翻訳されて入荷されてくるという安定した環境。アマゾンを使えば翻訳されていないゲームだって手に入れることができるし、あとはプレイする時間さえ作れば遊び放題の無限大の世界が広がっている。『プエルトリコ』のようなゲームだって何十種類と出ているのである。一度知れば10年は遊べる世界。アナログゲームは常にテレビゲームの下で、そしてテレビゲームは常にアナログゲームの上だという、自分のゲームに対する浅はかな理解も、複数のゲームをプレイしていくうちにたちまち修正されていった。またおもしろいと紹介された日本のゲームがどれも、海外のゲームに負けず劣らずおもしろい作品ばかりだったという点も嬉しい驚きだった。

結論として実際にアナログゲームをプレイしてみてわかったことは、アナログゲームというのは外面は非常にとっつきにくい文化ではあるが、いざ体験してみると抜群に面白く、ゲームマーケットの規模のイベントが開催されることも一瞬で納得できるほどの世界であること、また日本においても既に紹介や啓蒙の段階を超え、国産オリジナルのハイクオリティなゲームが生まれ、それが他の海外産のゲームと混ざって浸透していくほどカルチャーとして成熟していた、ということである。ゲームマーケットはそんな日本のボードゲームカルチャーの今を、目に見える形で具現化した場所なのかもしれない。

非常に前置きが長くなってしまったが、これから日本のボードゲームシーンについていくつか思うことを書いていきたい。

「日本のボードゲームシーン」と書いたが、まず冒頭のアナログゲーム専門のイベントであるゲームマーケットについて個人的に感じているのは、上でも少し触れたように、やはり(アナログゲームをボードゲームとカードゲームという2種類のゲームの市場とした場合)どちらかというとカードゲーム主体のイベントなのではないかということである。

海外の事情は知らないが、体感として日本は非常にボードゲームを入手することが難しい国であると思う。カードゲームはブシロードなどオタクカルチャーを飲み込んだ企業が大きく成長を遂げることに成功したが、ボードゲームではまだそれができていない。入手が難しいというのも別段規制などがされているわけではないのだが、シンプルに買える店がまだまだ少ない、ということだ。そしていつも行くような店にはまず絶対に並んでいない。

またカードゲームとのストレートな相違として、カードゲームは書店でも販売しているが、ボードゲームはおもちゃ屋などにしか置いていない、という点も挙げられる。それも小さなチェーン店などではまずお目にかからない。カードゲームも書店で販売されているとはいえ、扱われているのは基本的にオタクっぽい絵が描いてある萌え系のカードゲームとか、コレクター向けのスポーツカード、遊戯王系の漫画とタイアップしたようなカードゲームが主流で、『ハゲタカのえじき』などが買えないという点ではボードゲームと扱いが同じなのだが、それでも買える場所の有無という点には大きな違いがあると思う。1種類でも手に入るのとどんな種類も手に入らないのでは雲泥の差がある。ボードゲームはコンビニにも置いていないし、あったとしてもマグネットの将棋盤かオセロくらいである。

そもそも日本人に大人が洋物のボードゲームで遊ぶ習慣があるかも謎で、バブル期の日本人すらそんなことはしていなかったように思う。おじさんは麻雀か将棋、いっても花札かトランプが関の山ではないだろうか?(もうこの時点でボードゲームではなくなっているが)パチンコや競馬に比べるとボードゲームは少しお上品すぎるし、ルールを覚えるのにもある程度の知性がいる。特に海外のゲームだと、年齢制限が何歳以上が遊べて、そもそも何歳くらいまで遊ぶものなのかもよくわからない。すごろくや人生ゲームといったいって中学生くらいまでが遊ぶゲームを基準に考えるなら、シンプルに言って市民権がないと言っていいだろう。
あくまで鉄道やプラモデルと一緒の一部の、線を引かれた向こうの世界の人々だけに熱烈に愛されている趣味の1つであることは僕の小学校時代、2000年代初頭から根本的には変化しておらず、その中で線の内側の人数が増えることはあれ、未だ文化そのものはそのラインを超えていないのが実情ではないだろうか。

しかし一方でボードゲームを買うには至らないまでも、ボードゲームをプレイすること自体や、そういったことができる場所などは増えている、という現象も起きているらしい。ボードゲームバーやボードゲームカフェがそれで、ネットで調べてと「ボードゲームは婚活にイイ!」みたいな記事まで出てくる。思えば『人狼』なんかも分類すればボードゲームに入るようだし、手軽にそういったゲームを楽しむ面白さ自体は徐々に人口に膾炙していっているのかもしれない。

けれども買うこと、所有することとただ遊ぶこととの間には大きな隔たりがある。面白い遊びであればなんでもいいという人々にとっては「ボードゲーム」という字面がもう別世界という感じだし、入りづらい専門店に行っておもしろいかどうかわからない高いゲームを買ったり、アマゾンで手に触れてみることもできないゲームにいきなり数千円はたいたりするよりは、そういう場所で気楽にいろんなゲームではしゃげる方がずっと気軽で楽しいのだと思う。

そしてこういったカフェやバーなどの場所は一般的なゲームショップのプレイスペースや専門店にたむろしているコア目なシン・ガチ勢の人からいい感じに距離を置けるというのも利点だろう。浅く広く楽しみたい人間にとって、その世界にズブズブにハマらないと楽しめないというのは案外退屈なものだし、軽く遊びたい時ほど、素潜りとマリアナ海溝の深海調査を一緒くたにした人のガチトークに付き合わされるのはしんどいものである。そんな人でも場所がカフェやバーとなればそれなりに空気を読んでくれそうな気もする。重厚なファンの方の重厚なウンチクを聞きながら超本格的にプレイするボードゲームもそれはそれで悪くないものだと思うが(そこまで濃いのは未経験)、そんな一子相伝感ばかりだと気が詰まる人も多いはずだ。

ということはもしこのままうまくボードゲームがライト層に浸透していった場合、ガチ勢から分離したボードゲーム(アナログゲーム)が、最終的にカラオケやラウンドワン的なカルチャーの一部として取り込まれていく可能性は十分に考えられる。カラオケやボーリング場にボードゲームのプレイスペースや貸出サービスが出来(もうありそう…)、ボーリング好きが自宅にレーンを作ろうと思わないように、それくらいのほどよい距離感のレジャーとして浸透していくのではないだろうか。ガチ勢についてはこれからもつつがなく己の道を突き進み、そこに障害物も今のところないと思われるが、メジャー的な広がりについてはまだまだこれからもたくさんの変化が起きていくのではないかと思っている。

では同人はどうだろうか。率直な印象として、今同人のアナログゲーム界とメジャーのアナログゲーム界の間に根本的な差はないように思う。生産力や信頼度、知名度や販売力などでは企業の方が上かもしれないが、そもそもそこまで大量に生産して売りさばけるようなゲームは存在していないし、そんな大きなものが乱立できるような市場でもないと思う。ゲームとしての面白さや、個々のサークルのブランド力、それからゲームマーケット含む各イベントのイベントとしての規模を考えた時に、まだ同人サークルに対して確固たる王者として君臨できるほどの企業は存在していないのではないかと思う。君主はいるが田舎の城下町というか、共存共栄という言葉の方がしっくりくるような環境なのではないだろうか。
しかしそんな環境でも、やはり名も無き同人サークルが有名企業と同じ種類の商品を出して売れようと競い合うのであれば、やはり分は企業にあるかもしれない。そしてそんな企業に対し、正攻法で勝ちに行こうとするあまり、結果企業と同じ選択肢を選び、デザインやパッケージの力で最終的に負けてしまっている同人サークルは多いような気はする。というのは、いくつか遊んだ同人のアナログゲームにおおまかな共通項が見られたからである。

現状同人アナログゲームでお金を稼ごうとした場合、いくつかのネックが考えられる。界隈の規模(=イベント数の少なさ、etc)もその1つと言っていいだろう。もちろんこれはあくまでアナログゲームを中心にしたイベントに限っての話だが、日本各地のイベント開催概要を調べた結果、ファミリー向けのゲームイベントなどは各地で開催されているものの、いずれもアナログゲームの啓蒙を目的にしたゲームを無料or安値で遊べることを謳う体験系のイベントであったり、他のイベントに付随したフリマが主で、他には「ゲームマーケットに落選したサークルが集まるイベント」がある程度で、独立した同人ゲームの販売イベントという点に限って言えばゲームマーケットが統合的でありほぼ一強と言って良い状況である。

だから商品的な質の差に決定的なものがあったとしても、状況的にはやってくるお客さんにただ売る!売りまくる!という点でサークルも企業も同じマウンドに立たされていることになるから、大げさな例えだが、ジャンプコミックがコミケで新刊を売るような事態がゲームマーケットでは起きているのかもしれない。実際1万人近い、完全に自分たちのお客だけで埋め尽くされた人々が一堂に会する機会は、企業側にとってもまだまだ捨てがたい全力を捧げ得る非常に貴重な機会だと思われる。

こうして資本のある企業とそれに乏しい同人サークルが同じマウンド上で争うことを余儀なくされる影響は実際の同人アナログゲームを手に取ってみると手に取るように感じることができる。『ゴリティア』など、同人でもオインクゲームといった有名ゲームメーカーの作品と比べてみても遜色のない作品は多く存在するが、しかしそのどれもが基本的にパッケージ偏重な、いかに目に触れたお客さんにパッと手に取ってもらえるか、を第一にした作りになっているのである。実際プレイしておもしろいゲームもあるが、商売的に手にとらせれば勝ちで、ただそれだけの目的だけで作られたようなゲーム(パッケージ)も多数あるように思える。お化粧といえば聞こえがいいが、美人だけど誰こいつ?みたいな、そんな美人ばかり並んでいる印象も否めない。

アナログゲームは買い手にも予算を要求される。大型の箱ゲーは10000円を超えるものもあるし、5000円やカードゲームでも2500円といった値段が平均的である。だからコミティアのコピー誌100円カラー本500円総集編1000円といった世界とは何もかも規模が違う。だからそんなカルチャーの中で、いかにその限られた予算をこちらに向けさせるかの努力が必要なことは疑問を挟む余地がないが、それが結果的に厚化粧的なパッケージ偏重という形で現れ、全体的な印象が「B級」止まりになっているのであればあまり良いこととは言えない気がする。
もちろんおもしろいパッケージのゲームにもコレクション的な楽しみがあることは否定できず、個人的にはどうせ年に数回遊ぶか遊ばないか程度のゲームなら、ネタ的に飾ってておもしろいやつの方がいいか、という心情は大いに理解できるが、やはりゲームである以上、ガワはいいけど中身はテキトーというゲームばかり増え続けることには一抹の不安を感じざるを得ない。

しかし中身の作り込みという話になると、今度はここにも金額的なネックという問題が存在する。壮大で長く遊べる重厚なボードゲームを作るとなると、コマやボードなど様々なものの制作にコストがかかり、結果的に数千円を超える値段にならざるを得ない。『プエルトリコ』や『カヴェルナ』などは物質としての重量も尋常ではない。10000円するようなボードゲームは箱を持った時点で「ああ、これはそれくらいするわ。」と納得できるくらいの物質感を持っているものである。そういうゲームは確かに素晴らしいかもしれないが、そうなった場合客はもちろん買うことに慎重になるし、製作者側も制作には慎重にならざるを得ないだろう。少なくとも1回のゲームマーケットの開催の間隔で作れるようなゲームではない。
つまり漫画であればページ数に制約がかけられることはあっても内容に予算的な制約がかかることはないが、ゲームは予算の段階である程度ジャンルがカテゴライズされてしまうという問題がある。かといって低コストに抑えれば良いというわけでもなく、いずれにせよかけられるコストが作るゲームの内容を規定してしまうことに変わりはない。そこが同人ゲーム制作の難しいところで、ある程度の予算しか準備できないサークルの出すゲームが似通ったジャンルに偏るといった事態が起きやすいのも必然ではないかと思う。上に書いたパッケージ偏重のゲームの頻出というのもつまるところこういうところに原因を求められるのかもしれない。

もちろんそれはゲームそのもののおもしろさとは関係ない部分ではあるが、しかしかといって普通紙にコピーしたものをジップロックで閉じたようなカードゲームを販売して売れるわけがない。最低限のTPOはやはり存在する。

もっともそう考えると単純に必要な予算が他に比べ高いだけの同人活動と割り切ることもできそうだが、それでも同人活動であるならばその中で同人活動でゲームを作る意義というか、企業的なゲームとは違う、同人ならではの持ち味のようなものが「ふざける」という方向以外からも出てきていいのではないか。

パッケージがおもしろいだけで中身のつまらないゲームがたまたま企業側の中身がめちゃくちゃおもしろくてパッケージの良くないゲームより売れたところでそれはそれ以上の現象を意味しない。パッケージのおもしろさは人気を作れるかもしれないが、ジャケ買いされたところで中身のない音楽はそのうち忘れられていくものである。しかもその原因がサークルの能力の低さというよりは、企業の同系ゲームに競り勝つための策、というようなところから始まっているのなら、一層解決が望まれる問題である。

ではいっそ自分たちだけでゲームを作ることに固執するのをやめればどうだろうか?
例えばあるサークルはトークンやコマだけを作り、あるサークルはルールを値段をつけて売り、といったように、もっと同人ゲーム製作者にとっての築地市場のようなスペースが増えてくれば状況は変わる気がする。
これから書くことはすべて机上の空論だが、例えばどこかのサークルがコマを販売してくれるなら、こちらはルールを書いた本を出版すればコマを買うだけで事足りるし、買い手としてもまずルールを買って、そのルールで必要そうなコマだけを選んで買えば良いだけになる。そうすればゴツゴツしたパッケージもいらないし、そこに金銭的な自由が生まれる。プラモデルのフレームを1フレームずつ売るようにいろんなサークルがそれぞれゲームの要素を販売し、来場者がそれを買うことで最終的に何かしらのゲームがプレイできるようになる(完成する)ようなことができればそれは非常に面白いのではないかと思う。
それは間違い無くコマやカードといったそれぞれ物質的に独立した要素をルールという制約の下に紐付け、意味付けるアナログゲームという世界ならではのものだと思うし、何から何まで1つのサークルでやるのではなく、そういった様々な要素に分散させるということになれば、各サークルは自分の得意な事だけをやれば良いわけだから、シーンへの新規参入も容易になるのではないだろうか。

現在既にパッケージや企画などではサークルの枠を超えた交流が始まっており、さながら合同誌のような形で完成されたゲームもあるようだが、この流れがより加速することによって、ゲームマーケット、あるいは同人アナログゲームシーン全体がおもしろいゲームがより自由に生まれ得る環境に成るのではないだろうか?

また同様の取り組みとして、ゲームマーケット的なものを目指した同人ゲーム作りから離れ、例えば考えたルールをネットでただ提示していくような取り組みも、今後のシーンの盛り上がりのことを考えると必要になってくるのではないかと思う。ルールさえあれば身近なすでに買って持っているゲームのコマを使って新しいゲームで遊ぶことができるし、そういった刺激は常にシーンにあたえられるべきである。
新しいゲームに出会える場所が年に数回しか開催されないイベントの中だけというのはあまりおもしろいとは言えない。オリジナルのゲームのルールやアイデアだけを誰かがネットで延々と提示し、それを見ておもしろそうだと感じた誰かがそれをパッとアナログゲームの形に組み発表・販売できるような仕組みが生まれれば、さらに日本のアナログゲームシーンをおもしろく、活気あるものにできるにちがいない。

個人的にゲームとは遊び方であり、コマやボードは遊び方についてくるものだと思う。だからそっちがメインになってはいけないのではないか。”顧客が本当に必要だったもの”は「誰もがプレイしたことのないめちゃくちゃおもしろくて大興奮できるゲーム」のパッケージではなく、単なる「新しい遊び方」だけなのではないか?という気がする。企業はゲームを作らなくてはならないから新作を出し続けるしかないが、同人サークルならそんなことしなくても良いはずである。

コミティアに参加しなくても同人活動ができるように、直接的ではなくてもシーンに貢献できるなら、その方法はもっとたくさんあるはずであるし、そういった手軽にできる活動が増えた方がシーンはおもしろくなると思う。
いつかコミティアに参加するような軽いノリで、ゲームマーケットに参加したいと思っている。

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