音楽文化の移り変わり


音楽にその歴史があるように、それを取り巻くメディアや、人々がそれに親しむ方法にも歴史はあり、それらはお互いが交差するように進化し、大きく変わり続けてきた。1857年に世界最初の音声録音システムであるフォノトグラフが誕生して以降、エジソンによって蓄音機の発明がもたらされ、それが音楽用途にも使えることが明らかになると、1910年には日本でも最初の蓄音機が発売された。そしてそれから今日に至るまでの百数年間で、音楽とそれを取り囲む状況はめまぐるしい変化を遂げている。まず第一に挙げられることは、音楽を録音することが可能になったことによって、演奏の一回性が失われてしまったことである。もちろん、すべての演奏には個性があるが、一つの演奏が完全に録音され、何度も同じ状態で繰り返し聴くことができるようになった為に、ある演奏は演奏というよりも一つの「曲」という状態、凝固した物質として人々に認識されることになった。音楽というものへの認識が一回限りの儀礼的なものから、何度も聴いて味わうことのできる嗜好的なものへと変わっていったのである。同時に録音物と再生装置を一人一人の人間が手に入れることができるようになったことで、ある音楽を一人だけで聴くという体験も可能になった。その一人で音楽を聴くというスタイルをとことんまで特化させたのがカセットプレーヤーというメディアの誕生であり、これによってイヤホンを付けることで誰でも簡単に、好きな場所でどこでも音楽が聴けるようになったのである。それまで音楽というものは、レコードとレコードプレーヤーの持っていた物質的な限界によって、少なくとも自室か、たいていの家では居間に置かれて家族がみんなそのレコードプレーヤーを使う、という状況で聴かれることが多かった。レコードプレーヤーは巨大で、レコードはまた高価なものであった為に、それを聴くという行為自体に、家族揃ってTVで映画を見るような、一種の日常の中にある非日常性的な楽しみを有していたのである。しかしカセットプレーヤーの登場や、レコードプレーヤーの小型化、レコードの販売価格の低下などによってその仰々しさが徐々に減少していった結果、音楽を家族で聴くという体験は聴覚だけの領域ではなくTVの歌番組といった、より一回性の強い複合的な場所に移行していくことになった。このレコードプレーヤーを囲って皆で1つの音楽を聴くという慣習はおそらくクラブのDJ文化などの中に引き継がれており、そこではスクラッチプレイ用に楽器として特化したレコードプレーヤーによって、多くの人間が1つの音楽を聴いて踊るという非日常的な体験が続けられている。このようにメディアの物質的な変化は表面上の文化的な変容だけでなく、それを受容する人々の内面的な音楽観にも影響を及ぼしていく。1つは音楽というものへの価値観の変化である。家族が居間に集まってレコードプレーヤーで音楽を聴いていた時と、蓄音機の周りに人々が集まって順番にそこから音が出ることに驚嘆していた時、カセットテープで町を歩きながら音楽を聴いていた時のそこにある音の価値は、今パソコンでSoundcloudなどのページを開いて、そこにある音楽の再生ボタンをクリックしている時の感覚とはどれも全く違うはずである。それは何か1つの価値が高いところから低いところに時を追って下がっていき、それによって人々の感性も弱まっていったというような単純な上から下への話ではなく、もっと根本的な、自分の中で音楽というものをどう捉えるか、という部分の変化であると思われる。つまり音を録音することが当たり前ではなかった時代、音を録音したものを持っていることが特別だった時代、音を録音することも録音したものを持っていること何もかもが特別ではない時代では、音そのものに対する感じ方が違っていくのである。戦前と戦後で米に対する価値観が違ってくるのと同じである。こうして生まれるもう1つの変化が先に挙げた音楽というものの扱いの変化であり、この扱いの変化が、音楽メディアのあり方を変えることで、再び巡り巡って人々の価値観を変えることになる。2つの変化は表裏一体なのである。個人がレコードを入手する手段が買うという方法しかなく、またその価格も高い時代は、やがてある程度レコードを持っている人間が増えると、それによってレコード自体の価格が下がる為に終焉を迎え、それによって人口に膾炙したレコードは更なる需要を生み、レコードが世の中全体に浸透していくことになる。こうしてレコードが浸透すると今度は個人間で売買ではないレコードの貸し借りが行われるようになり、レコードの売れ行きは次第に平均的なものになっていき、やがてある種の平衡状態を迎える。ここでレコードはもうかつての孤高の録音物ではなくなり、主婦が料理のBGMに流すような気楽なものとなっていることだろう。一方そういった需要と供給が高めていた文化の技術的な側面が新たなメディアを生み出すことにより、平衡状態は破られ、新たなメディアに人々が殺到することによって、全てはまた同じサイクルを繰り返すことになる。しかしこの新たなメディアに移行する時、人々の価値観は知らないところで新しくなっているのである。音楽が人口に膾炙し、レンタルレコード店やレコード喫茶など、個人が音楽を気楽に楽しめる場所が増えたことによって、音楽は非日常的なものからよりパーソナルなものへとその姿を変えていった。パーソナルなものになるということは日常的なものになるということであり、日常的なものになるということはそれが生活の中にとけ込むということである。こうして音楽は一人の人間がその日常生活に流しているもの、座っている家具のようなインテリアへとその姿を変えた。そしてその時代も、CD文化の不況とインターネット上のダウンロード文化の興盛によって現在新たな変化のタームに差し掛かっている。おそらくこれからの変化で最も明らかなのは、これまで受け手側だった人間が、受け手側にいながらも、自ら音楽を製作して、言葉を話すようにそれを外に向けて発信するようになったということである。これまでと違い、MyspaceをはじめSoundcloudやBandcampといった発信者向けのサイトが登場したことによって音楽は今やかつての作品という立場から、何かその作り手の思いそのもののようなものへと変化し始めている。インターネット上では毎日無数の、かつてはお金をかけないと聴けなかったような、あるいはお金をかけてなら絶対作られなかったようなクオリティの音楽が、縦横無尽に交わされ合っている。そこには無料や有料といった金銭的な概念もあまり意味を成していないようでさえある。

文章 PRINTPUB02会員NO.00002:NR 青のりしめじ http://aonorishimeji.com
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