活版印刷ブームとはなんだったのか


かつて、活版印刷ブームというのがありました。もしくは今も継続しているとも言えるかもしれません。この活版印刷ブームにおける一連の流れも、また、ある1つの策定であったと考えられます。紙の風合いや、押しの強さ、活版印刷に用いられる専用インキの独特な墨のテカり、などなど、そういった、物質の変化、手触りみたいなものが、イイ!サイコー!となっているシーンが確実に存在していて、圧倒的な強さのハマり方をしたのが、あの活版ブームでした。もしかしたら技術的な古さも、良さとしてあっただろうし、同時に歴史の深さとか、そういったノスタルジー的なものが元々大好きな日本人の趣向にも上手にマッチしたのかもしれません。また、ある所では、組版的な意味合いを強めて、1つ1つ文字を組む、そのニュアンスの良さや、印刷所へ足を運ぶ面白さもミックスさせて策定してみたり、手キンに代表されるような個人ユースの活版印刷機も、その善いターゲットになったような気がします。fengfeeldesign個人としては、手キンはチョー欲しい感じですけど、それは置いといて、そういったものというのは、技術の高まりとは、少し違う側面の良さみたいなものを掬い取る事で、所謂、活版らしさみたいな、ふんわりした、これこそ日本人が趣向に感じる領域の丁度いい距離感の策定が実現し、機能したのではないかなーと想像しています。なんというか、本来、活版印刷が持つ、技術の高まりというものを一切合切に無しにした上で策定だったので、fengfeeldeisgn的には少し戸惑ったというか、初期からその流れを見ていた者としては間違った認識を印刷全体に与えるのではないかという心配をずっとしていたのを覚えています。fengfeeldesignの実家が、書類や伝票類を活版印刷で発注して販売する場所だったので、あの美しさが誤読されてしまうのではないか、というのは、実際にそうなってしまった今を振り返ると、あの始まりの時にもう少し積極的に自分の信じる方向の活動を興しておればと当時を少し悔やむ事があります。また、それが自分の勉強不足で興せなかったのは反省に感じつつも、ある一定のシーンではありますが、現在では上述の策定が活版印刷の主流になり、多くの人がそのような視点で見ている事は、本来の文脈としての消えゆくかもしれなかった活版印刷の延命処置として捉えるならば、善い策定であったと言わざるを得ず、少し複雑な心境ではあります。活版印刷はとてもシンプルな技術だし、少しの説明で物理的な判明は素人でも可能な範囲だからこそ、状況が想像しやすく印刷の中で、もっとも策定がしやすい技術であるとも言えるかもしれません。紙と版があって、ガシャン、と押すだけなのだから。また、組版の説明も言葉の意味も、活版印刷が元になっているし、もし、そのような本来の文脈としての活版印刷の策定が可能であるなら、こんなにも喜ばしいことはありません。また、ダイレクトに西洋からの文化が色濃く残った上での日本へマッチングさせた技術なので、そういった、デザインや、グラフィック、ビジュアル面において、印刷的な正しき美術価値、または手グセ、または感覚みたいなものを学ぶにふさわしい教材であると言えます。すなわち、本来の文脈としての活版印刷の策定を行うという事は、同時にそのような教材作りにつながるものと考えられます。その上で、あの活版印刷ブームというものを考察し肯定的に捉える事が出来るとすれば、その概要は、入門編でありつつ、それを楽しむ為の解説書、みたいな意味では評価出来るかもしれません。ただし、それが本来の活版印刷の文脈として捉える策定としては、とてもじゃないが、受け入れられるものではありません。そして、PRINT PUBでは、この活版印刷に関しての策定は、そのような目線で行っていく事になると思います。

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