策定によって得られるもの


策定は印刷に目的と自由を与えます。それらは発注者が抱え、対面している物事に由来し形作られます。数多くの策定を取得する事で、対面している物事への対応の幅や、回答のチャンスを大幅に広げる事が出来ます。また、より高品質な印刷が無駄な時間を省いて手に入れる事が可能になりますので、誰もが良質な発注者としての機会を得ます。策定を行えば、本来そうではない分野の人が、該当する分野に参加し、様々な市場の活性化に繋がるものと考えられます。これは、他の分野にも言えることかもしれませんが、圧倒的なモノづくりは注目を浴びて、多くの消費者を獲得するに至ります。それはデザイナーの本分として、しばしば語られることがあります。ただし、誰もが真似できない領域に達してしまうと、消費者のみを産出し、市場そのものの活性化には繋がらないリスクも、同時に発生します。そんな中で、この策定は印刷分野において、一極化を避ける為のカンフル剤としても期待が出来るのです。デザインというものが、ある象徴的なものを構築する事を主体としていた時代がありました。それはとくにグラフィックの分野において言える事ではありますが、そもそも主体をデザインとしていたのは、またはその現象というのは、主体を構築する事が、その時代に合ったデザインだったからにすぎません。それが果たして現在の状況に当てはまるとすれば、とても勘違いをしていると思います。主体を構築する事は、それらの複製の排除に繋がります。果たしてそれは、現在のニーズ、または、熱のようなものにマッチしているでしょうか。言葉は悪いかもしれませんが、誰もが真似できないであろう主体を作るという事は、ユーザーが勉強不足の場合にとても効果を発揮します。「よく分からない」が感動出来る、共感出来るものに対して人は無意識に惹かれるものです。それは、恐らく宗教のようなものに似ているかもしれません。圧倒的なモノづくり、解釈出来ないものというのは、神的であり、一見して、とても官能的で神秘的なイメージを得るかもしれません。ただし、それは、デザインを主体として印刷として考えた場合、少し思想逆行させた、在り方な気がするのです。圧倒的な主体のデザインは、同時に圧倒的な消費者、この場合は信者と言っていいかもしれませんが、それしか生まないのです。その後に残るのは何か、想像すれば簡単な事です。消費者は何も生み出しません。何も発展もなければ、ただ、それを扱うのが上手くなるだけで、ただただ消費するに至ります。この策定は、それら象徴的で主体的なデザインに警鐘を鳴らす、または、否定する方法であるとも言えるのです。何故、そのような主体デザインに対して否定になるのかと言うと、それらも「策定」としてしまうからです。策定は「デザイン」ではありません。あくまで、印刷を策定するに至るものですから、デザインとは役目もポジションも違います。もちろん、策定そのものは、これからのグラフィックデザインのチャンスと機会を大きく促すきっかけになるものと考えられますし、とくにプリパブでは、この策定はそのように扱う事になるのですが、あくまで、デザインではない、印刷に至る為の方法論である、という事を、是非、念頭に入れていただくと、とても分かりやすいかと思います。策定を行えば、すべてのモノづくり、この場合は印刷の全ての現象という事になりますでしょうか、それらをフラットに見渡す事が出来ます。そうする事で、今まで神的で、象徴だった主体のデザインの結果としての印刷物もフラットになり、その策定を全ての対面している物事がある皆さんが利用する事が出来るのです。

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